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Home > 読むページ > きょうのことば > ただ念仏して、弥陀にたすけられまいらすべし。

きょうのことば

きょうのことば - [2003年07月]

ただ念仏して、弥陀にたすけられまいらすべし。

「ただ念仏して、弥陀にたすけられまいらすべし。」
『歎 異 抄』『真宗聖典』P.627

 この言葉は、関東からそれこそいのちがけで訪ねてきた人たちを前にして、親鸞が語ったものです。かれらは、本当に念仏一つで阿弥陀仏の浄土に生まれることができるのだろうかと不安になり、親鸞が、私たちに念仏以外の道を隠しているのではないかと疑って訪ねてきたのでした。
 親鸞は、かれらに対して「それは大変な間違いだ」と強い調子で語ります。それでも疑いがはれないのなら、奈良にも、また、比叡山にも、立派な先生方が沢山おられますから、お聞きになられたらよいでしょうと勧めます。そして、あらためて「この私、親鸞におきましては」と自分の名を名告って、法然との出会いを通して自分の上に起こった目覚めの事実を語るのでした。
 親鸞は、二十年におよぶ長い比叡山での学びの中で、どのように努力しても、自分中心の心をなくすことができませんでした。そして、自分が永遠に変わることのない凡夫であることに気づきます。凡夫というのは、誰をも傷つけずに生きることのできない悪人の私ということです。親鸞は、そのような自分に気づき、生きていけなくなりました。
 生きていけなくなった親鸞は、法然を訪ねます。そのときに聞いた言葉が、初めの「ただ念仏して、弥陀にたすけられまいらすべし」です。親鸞は、身体全体を耳にして、この言葉を聞き尋ねます。それは、親鸞が二十九歳の時のことでした。
 親鸞は、この言葉と一つになって生きる法然のすがたを通して、凡夫を救おうとして「念仏しなさい」と呼びかける阿弥陀仏の大悲の心に目覚めて生きるものになったのです。阿弥陀仏の大悲の心とは、えらばず、嫌わず、見捨てずという心です。その心に出遇うことによって、初めて自分中心の心から離れることができたのでした。
 だから、関東から訪ねてきた人たちを前にして、自分の上に起こった目覚めの事実を、「この私、親鸞におきましては、ただ念仏して、阿弥陀仏にたすけられなさいと教えて下さった、よき人・法然の言葉をただ信ずるだけなのです。それ以外に何もありません。念仏が浄土に生まれる種なのか、それとも地獄に堕ちる行為なのか、まったく私の分かるところではありません。たとえだまされて念仏して地獄に堕ちることになっても後悔することはありません。」と語るのでした。

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