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きょうのことば

きょうのことば - [2003年06月]

万物一体の真理は、常に吾人の上に活動しつつあり。

「万物一体の真理は、常に吾人の上に活動しつつあり。」
清 沢 満 之『清沢満之全集』第6巻P.6

 このことばは、清沢満之が明治34年に雑誌『精神界』に発表した論説の中にあります。「万物一体の真理」とは、仏教に言う「縁起の法」を意味します。清沢はそれを、すべてのものが相依相待的な関係において成り立っており、関係から独立してそれだけで存在するものはないと確かめています。そしてこの真理は、私たちが気づかない間も、私たち自身の実際生活の上につねに働き続けていると言うのです。
 私たちの生命活動が、他の生物や自然物との間のいのちの連なりによって成り立っていることは、生物学や生態学によっても今日ますます詳細に明らかにされつつあります。また、「心の病」と言われるものの多くも「関係の病」として捉えることで、いっそう理解が深められています。
 しかし、私たちは通常、こうした支えあいの関係を生きているという事実を意識しません。むしろ、自分と周囲の世界の区別を固定化して、他人や事物を自分の意のままに扱おうとし、さらに自分自身の心や身体までも操作しようとして生きているのではないでしょうか。
 たとえば、私たちは世界中のありとあらゆる食物を食べることができますが、それがだれによってどこで作られ、どのようにして私たちのところにまでもたらされたのか、その過程でどれだけの人が関わっているのかを意識することはありません。
 また、いくつもの顔を使い分けなければならない生活のなかで、ともすると多くの人間関係が操作可能な「もの」として扱われていきます。ケータイなどによって効率的に仕事や人間関係を処理しながら、うまく操作できない関係はよそよそしいもの、不安やいらだちの原因としか意識されなくなります。
 しかし、自然や他の人々を、私たちとの関係から切り離して、意のままに所有したり操作したり無視したりすることはできません。私たちの生き方は、相互関係の中で他人や自然になんらかの影響を与えずにはすまないからです。そのことへの無自覚は、環境や生命をめぐる問題としても露わになってきています。環境や食物に対する不安、顔の見えない人間関係への違和感を感じるとき、そこには、私たちが万物の連なりを生きているという厳然たる事実と、それを忘れている私たちの生のあり方とが二重写しになっているのではないでしょうか。
 万物一体の真理は、そうした不安を通じて、私たちに生きることの意味を問いかけているのです。

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