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きょうのことば

きょうのことば - [2002年06月]

真理は涯底あることなく、人知は反って窮極するところあり

「真理は涯底あることなく、人知は反って窮極するところあり」
清 沢 満 之

 明治中期の日本、近代的合理主義精神の導入により「十九世紀文明時代」へと猛烈に突き進むただ中にあって、その文明を支える「人知(考えること)」について、清沢満之(1863~1903)は上のように「真理は無限に広く深く、しかし人知には必ず行き詰まりがあるのです」と言います。
 清沢は「人知」を、「科学」と「哲学」で代表させて語ります。「科学」とは、自然や人間に関係するさまざまな現象を合理的に分析し、全ての人に理解可能にしようとする学問です。私達はそれによって身の回りのあらゆる現象を把握し、さまざまな問題を解決してきました。しかし人間の科学する精神は、留まることを知りません。それは私達が、いくら難問を解決しても決して現状に満足することができず、常により豊かに生きることを求めるからです。
 科学する人間は、また「哲学」する存在でもあります。私達は、科学にのみ自分を托(たく)すことはできません。自分とは何なのか。世界はどこから来たのか。それは、科学する「主体」と科学の「対象」に対する疑問です。「人間は考える葦である」と言ったのはパスカル、「我思う、ゆえに我あり」と言ったのはデカルトです。私達は哲学することによって、生きることにより深い意味を与えようとするのです。
 私達は、遠い過去から「人知」を駆使して生きてきました。それは、より豊か(科学)に、より深く(哲学)生きたいとする意欲にもとづくものでしょう。そのような人知が、人類の進歩・発展を支えてきたとも言えます。
 しかし清沢は、人知を尽くす人間は、終には「絶対真理に帰敬信順するに到る」と言いました。つまり、人間は、「宗教」を求めるざるを得ない存在であると言うのです。その「宗教」とは、人知を超えた「真理(本当のこと)」に対する畏敬の念です。人知の意欲は留まることを知りません。しかし、人知を尽くす人間存在の方は、実は有限です。したがって人知には当然行き止まりがあり、超えられないものがあります。それが「窮極するところ」です。
 「真理」は、人間の思いはからいを超えたものです。そのような真理の前に人間は、ただ人知の窮極を感じて頭を垂れる他はないと言うのです。そんな清沢も、人知を尽くしつつ、しかし涯底なき真理に頭を垂れる者として、その厳しい生涯を生き抜いたのです。

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