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きょうのことば

きょうのことば - [2002年01月]

心、顚倒せず。

「心、顚倒せず。」
『仏説阿弥陀経』

 『阿弥陀経』は、阿弥陀仏とその国土である極楽世界の意義を明らかにして、人間にその世界に生まれることを勧める経典です。極楽世界に生まれるなどと言うと、死んでから後の話のように思いがちですが、そうではありません。なぜなら仏教は現に生きる私たち人間の救済を課題とするものだからです。
 その『阿弥陀経』の中で、仏と出会った人の心のあり方を表す場面に説かれているのが冒頭の言葉です。「顚倒」とは、逆さまである、逆になっているという意味です。ですから、上に掲げた一文は、仏に出会った人の心は逆さまにはならないという意味になります。そうすると、仏に出会わない人の心は逆さまであるということになります。これは一体どういうことを意味するのでしょうか。
 先日、ある新聞の川柳のコーナーで次のような川柳を見ました。

「自分から 回っている気の かざぐるま」
言うまでもないことですが、かざぐるまは風の力によって回っているのであって、自分の力で回っているのではありません。これと同じように私たちは、様々な条件によって「私」として存在しているのであって、まず初めに「私」という存在があって、それに条件が付随しているのではないのです。それにもかかわらず、私たちは通常、あらゆる物事をすべて「私のもの」と思っています。「私」という存在は、なにをおいても、まず「いのち」によって成り立っています。その意味では「いのち」の上に成り立った「私」であると言えます。ところが、私たちは通常「私のいのち」と考えているのではないでしょうか。「私の」という立場は、いのちの上に立つものですから、このような見方は明らかに逆転しているということになります。
 このような逆転を「顚倒」と言うのです。それ故、人間の通常のものの見方は、仏から見れば常に逆転していると言われるのです。自分が逆立ちしていることに気がつかない人は、まわりが逆になっているように見えることでしょう。そして、それに気がつかないことから様々な問題が生まれてくるのです。それゆえ、仏は、このような根本的な過ちを知らしめ、事実に立って生きることを人間に教えようとしているのです。

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