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きょうのことば

きょうのことば - [2000年04月]

大道を知見せば、自己にあるものに不足を感ずることなかるべし。

「大道を知見せば、自己にあるものに不足を感ずることなかるべし。」
清沢 満之『清沢満之全集』第6巻52頁

 ここに挙げた言葉は、大谷大学初代学長である清沢満之の「絶対他力の大道」から引用したものです。「絶対他力の大道」は明治35年に『精神界』という雑誌に掲載されましたが、このとき清沢は39才の若さで結核を患い、余命はわずかしか残されていませんでした。当時、結核には有効な治療法はなく、不治の病とされていました。清沢は喀血(かっけつ)を繰り返しながら、死への不安や恐怖と戦う日々を送っていました。しかし、この苦しい病気を通じて、彼は信仰を深めていくことができたのです。
 闘病を通じて清沢が獲得した信仰とは、どのようなものだったのでしょうか。それは、彼が「絶対他力の大道」の冒頭で述べているように、自分を超えた絶対無限の力を知見すことにより、自分のありのままの姿を受け入れ、一日一日を精一杯生きていくことでした。
 病気にかかったとき、だれでも一刻も早くそれを治し、健康な体を取り戻したいと切実に願います。清沢もそうでした。しかし、彼は「生のみが我等にあらず。死もまた我等なり」と気付きました。生まれてくれば必ず死 ぬ-そのような私たちにとって、死は人生の不可避な一部です。しかし、私たちは常に生と死を区別し、生に固執し、死を遠ざけようとします。このような心の働き(分別)に気付いたとき、清沢は生への固執から解放され、自分の死を引き受けて行く力を自分の中に見い出したのです。その力は、自分の死をも含めて、人生の全ての事柄を自分を超えた絶対無限の力に任せることができたとき、心の底から涌きあがってきたものでした。
 このような信仰を獲得した清沢には、絶対の自由と安らぎの境地が開けました。そこには死への不安と恐怖に脅かされながらも、それを乗り越えて行く安らかな心が芽生え、苦しい病気を患いながらも、希望と感謝をもって毎日を生きていく道が開かれたのです。絶対無限の力に帰依し、それを人生の拠り所とすることによって、人は如何なる環境や状況に置かれても、そのなかに満足と平穏を見出し、自由に生きていくことができると、清沢は私たちに呼びかけています。

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