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きょうのことば

きょうのことば - [2012年05月]

愚者になりて往生す

「愚者になりて往生す」
『末燈鈔』(『真宗聖典』603頁)

 親鸞は、関東にいる門弟(もんてい)たちに対して、念仏の教えを伝えるためにたくさんの消息(しょうそく)(手紙)を京都から書き送りました。標記の言葉は、その中でも最晩年の88歳の時に書かれた消息の中にある言葉です。

故法然聖人は、「浄土宗のひとは愚者になりて往生す」と候(そうら)いしことを、たしかにうけたまわり候いし
(今は亡き法然聖人が「浄土の教えに生きる人は愚者になって往生するのです」と言われたことを確かにお聞きしました)

 「愚者になりて往生す」とは、親鸞が師である法然から直接聞いた言葉です。親鸞が法然と出遇い、共に過ごすことができたのは29歳から35歳までです。ですから、そのわずかな期間、東山の吉水(よしみず)において法然から聞いた言葉が、大切な教えとして親鸞の心の中に残り続けていたことがここから分かります。そして今また、「愚者になる」ということの大切さを関東の門弟たちに伝えようとしているのです。

 では、「愚者になる」とは一体どういう事なのでしょうか。ここで言う「愚かさ」とは、教養の有無において語られる愚かさではありません。つまり、賢愚という相対的な意味での愚かさではなく、人間である限り誰もが有する根源的な愚かさのことを指します。たとえば、欲望にとらわれて自分を見失ったり、自分にとって都合の悪いものを排除しようとして、他者を傷つけ悲しませたりするような愚かさです。状況によっては、悲しい結果を招くような言動をとってしまう、そこに人間の愚かさがあると言えるでしょう。「愚者になる」とは、そのようにして生きる自分自身の愚かさをよく知るということです。そして、自分自身の姿に目を背けることなく、愚者の自覚を持つ者こそが、まことに生きる者であるということを述べているのです。

 自分の愚かさを自覚するということはなかなかできることではありません。なぜならば、私たちは少しでも自分の姿をよく見せようとしたり、時には自己弁護したり正当化したりして、自分自身の本当の姿からつい目を背けてしまうからです。しかし、「愚者になる」ことによって開かれてくる生き方があることを、私たちは法然や親鸞の人生から学ぶことができます。法然や親鸞がたくさんの門弟を生み出したのは、そのような生き方と無関係ではありません。自分の愚かさを認めるところから、他者を理解し、人々との深い関わりを持つことが可能となるのです。

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