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今という時間

今という時間 - [231]

「「正調」は負け続ける」
皇 紀夫(すめらぎ のりお)

 私は田舎の小さな寺の住職でもあり、土日に寺の仕事を何とかこなしています。毎年、夏休み中3週間ほど村の子どもに『正信偈』を教えています。もう30年余り続けていますが、正座の仕方から合掌やお勤めの作法などを少しずつ教えると小学校を終える頃にはほとんどの子どもがお勤めできるようになります。
 私が教えるのは「正調」〔「草四句目下(そうしくめさげ)」といういかめしい正式名称〕の『正信偈』ですが、この地方には独特な節回しがあって、私の父や母も「土着」の『正信偈』でお勤めをしていました。はっきりと調子の違うところが何ヶ所かあるので、すぐ判別 できます。夏休みの練習始めの楽しみは、子どもがどちらの節回しでお勤めするかを聞き分けることです。私は「正調」で教えますが、1年経つと多くの子どもが「土着」に変わっているのです。
 今年もまた「正調」は「土着」に負けました。しかしこの負けは、私にとっては大変うれしい負けです。それは、子どもが家族と一緒に『正信偈』をお勤めしていた何よりの証拠だからです。親やその親たちがとなえ続けてきた「土着」の『正信偈』が子どもに引き継がれているという手応えをこの負けが実感させてくれるのです。
 家庭の子育て機能の衰退が進み、子どもは家庭外からの圧倒的な影響にさらされています。しかし、私たちの生活を支えている文化的母胎である深い「土着」の層もまた、子どもの成長に必要な養分を確実に供給しています。私の負けはこの事実を垣間見せています。

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