今という時間 - [205]
「雑草無尽」
一色 順心(いっしき じゅんしん)
キャンパス内を歩いていると、植込の木々の間から雑草が伸びているのを見つけることがある。そのたびに、祖父の残した俳句「雑草無尽 ひきがいもあり 生きがいも」を思い出す。
最近、私は学生寮の寮長を勤めることになり、松ヶ崎の女子学生寮に住むこととなった。そこは、五山の送り火「妙」が刻まれている山の付近である。院生の寮監の指導のもと、十数名の1回生が規律ある共同生活を行っている。女性ばかりの不用心さを補う意味もあって、寮長も必要とされるのかもしれない。
毎日、朝夕の読経には出席しなければならず、門限もある。アルバイトは禁止となっているから、今ふうの学生とはよほど違った生活が求められる。また、敷地内の清掃や草抜き作業も自分たちで行うというのである。
小雨の降る中、みんなと一緒に広い庭の雑草を抜いた。彼女たちの手が汚れるのを気遣って、寮母さんが軍手を用意してくれた。彼女たちは、声を掛け合いながら、すこし慣れない手つきで草を抜いた。若さのパワーもあって、庭はまたたくまにきれいになった。
現代では、誰にも邪魔されることのない快適な生活をしたいというのが、私たちの本音なのかもしれない。しかし、思いのままにはならない寮生活を送ることで、彼女たちは大切なものを学んでいるように思う。それは、「無尽の雑草」によって、その人に「生きがい」をも与えてくれるようなものだからである。