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今という時間

今という時間 - [175]

「昔取った杵柄」
中桐 伸吾(なかぎり しんご)

 まもなく学期末試験が始まる。日頃から勉強している者はよいが、そうでない者は大変である。中には一夜漬けの勉強で試験に臨む者も多い。しかし、たとえ運良く試験が出来たとしても、一夜漬けで憶えたことはほとんど後の記憶には残らない。
 それでは長く記憶として残すにはどうすればよいのか。その方法のひとつに過剰学習が考えられる。過剰学習とはある事柄が出来たという段階でやめるのではなく、さらにその事柄を反復・継続し、学習することを意味する。そして、その学習レベルが高いほど、学習をやめたあとの記憶の保持が良い。
 スポーツにおける技術練習もまさに同じである。その技術がようやく出来たという段階でやめずに、さらに繰り返し練習することが大切である。そうすることにより技術は固定化し、自動化する。このようにして身に付けた技術は、大試合等の非常に強いプレッシャーの状況でも容易に再現することが出来る。これが「体が覚えている」ということである。
 「昔取った杵柄」という言葉は、昔の腕前が今でも衰えていないことを意味するが、それは何回もの練習の繰り返しの成果と言える。かつて自転車に乗ったことのある人は数年間のブランクがあっても自転車に乗れるであろう。このように、私達の行動や記憶は全て過剰学習のおかげ(効果)であるともいえるのではないか。

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