ここからサイトの主なメニューです
  • 大学概要
  • 教育情報の公表
  • 入試情報
  • 新着一覧
  • 文学部 (2018年以降入学者)
    • 真宗学科
    • 仏教学科
    • 哲学科
    • 歴史学科
    • 文学科
    • 国際文化学科【2021年度募集停止】
  • 社会学部
    • 現代社会学科
    • コミュニティデザイン学科
  • 教育学部
    • 教育学科
  • 国際学部 (2021年4月新設)
    • 国際文化学科
  • 文学部 (2017年以前入学者)
    • 真宗学科
    • 仏教学科
    • 哲学科
    • 社会学科
    • 歴史学科
    • 文学科
    • 国際文化学科
    • 人文情報学科
    • 教育・心理学科
  • 大学院文学研究科
    • 真宗学専攻
    • 仏教学専攻
    • 哲学専攻
    • 社会学専攻【2019年6月廃止/修士のみ】
    • 仏教文化専攻
    • 国際文化専攻
    • 教育・心理学専攻
  • 短期大学部
    • 仏教科【2019年6月廃止】
    • 幼児教育保育科【2019年度募集停止】
  • 教員一覧
  • 学習支援
  • 地域連携
  • 国際交流/語学学習
  • 就職情報/キャリア支援
  • 学生生活サポート
  • クラブ活動
  • 学術研究
  • 生涯学習講座
  • 高大連携
  • 教員免許状更新講習
  • 校友活動
  • 図書館
  • 博物館

Home > 読むページ > 今という時間 > 昔取った杵柄

今という時間

今という時間 - [175]

「昔取った杵柄」
中桐 伸吾(なかぎり しんご)

 まもなく学期末試験が始まる。日頃から勉強している者はよいが、そうでない者は大変である。中には一夜漬けの勉強で試験に臨む者も多い。しかし、たとえ運良く試験が出来たとしても、一夜漬けで憶えたことはほとんど後の記憶には残らない。
 それでは長く記憶として残すにはどうすればよいのか。その方法のひとつに過剰学習が考えられる。過剰学習とはある事柄が出来たという段階でやめるのではなく、さらにその事柄を反復・継続し、学習することを意味する。そして、その学習レベルが高いほど、学習をやめたあとの記憶の保持が良い。
 スポーツにおける技術練習もまさに同じである。その技術がようやく出来たという段階でやめずに、さらに繰り返し練習することが大切である。そうすることにより技術は固定化し、自動化する。このようにして身に付けた技術は、大試合等の非常に強いプレッシャーの状況でも容易に再現することが出来る。これが「体が覚えている」ということである。
 「昔取った杵柄」という言葉は、昔の腕前が今でも衰えていないことを意味するが、それは何回もの練習の繰り返しの成果と言える。かつて自転車に乗ったことのある人は数年間のブランクがあっても自転車に乗れるであろう。このように、私達の行動や記憶は全て過剰学習のおかげ(効果)であるともいえるのではないか。

Home > 読むページ > 今という時間 > 昔取った杵柄

PAGE TOPに戻る

ここからサイトの主なメニューです