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今という時間

今という時間 - [147]

「モンゴル人不信」
松川 節(まつかわ たかし)

 ここ数年、モンゴル国で歴史調査を行っている。日モ合同で広大な草原をジープで走り回り、遺蹟や碑文を探索する。社会主義時代には我々が調査に入ることなどおよそ不可能だったが、民主化以来、西側諸国との共同調査が実現しはじめ、とくにこの4~5年、日本隊は多くの成果を収めている。
 合同調査にはアクシデントがつきものだ。出発の前日にジープの運転手を集めて、出発時刻と行程を周知させておく。しかしいざ当日、一人のモンゴル人運転手がいつまで待っても来ない。ほかの運転手も首をかしげている。結局、夕方になってバツの悪そうな顔で来たのだが、遅れた理由を言おうとしない。今さら別の運転手を探すわけにもいかない。誰もが先行きを危ぶみ、不信感をもつ瞬間である。
 しかし、危ぶんでいたのは我々日本側だけであったことが、調査先の仏教寺院で僧侶と話していてわかった。モンゴルでは長旅に出る前に旅の安全を仏僧に占ってもらう習慣があり、「月曜日の旅立ちは凶」と言われたら、運転手はそれに忠実に従い、かつ他人に告げてはならないというのである。
 長い社会主義時代を経ても彼らの「迷信」は生きつづけていた。すでに歴史知識となっていた陰陽道の「方違え」ということばを思い出しつつ、我々のモンゴル人不信はひとつ減ったのであった。

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