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今という時間

今という時間 - [131]

「アヴィニョン世界演劇祭」
番場 寛(ばんば ひろし)

 飛行機が恐い。泥棒やスリが恐い。元来、異常なくらい臆病で心配性なぼくが、数年前、革命記念日の祝日と重なり、宿はどこも満杯の南仏の街に野宿覚悟で出かけたのは、恐怖心よりあこがれと好奇心がほんのちょっぴり勝っていたからだ。
 アヴィニョンでの数日間は夢のようだった。劇場はもちろんのこと、学校、教会の中庭、野外、とにかく街全体が劇場で、しかも24時間どこかで劇をやっているのだ。レストランに入る時間がおしくて、サンドイッチを食べながら劇から劇へと移動する。6、7時間以上にも渡った「太陽劇団」の劇では、休憩時間に化粧も落とさない役者の老婆が売ってくれたラタトゥーユ(南仏の野菜の煮物)の味や、別 の休憩時間に草の上に寝そべって見上げた星空が劇の感動と重なりあう。
 「反復」はむしろその周りの「差異」をこそ際立たせるということに気づかないと「日常」は輝きを失う。ゲキジョウとニチジョウは二文字ほどの違いしかないのだ。
 一挙一動に観客の視線を浴びながら、圧縮し、変形した時間のもとに「日常」の裸の姿を見させてくれる「役者」がとてもうらやましい。しかし、人は誰でも、日常に流されて発する言葉ではなく、自作の「科白」を意識的に反復することにより、あり得たかもしれない全く別 の自分を生きることができるのではないか。「日常」の中にも「劇場」はあるのだ。

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