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今という時間

今という時間 - [081]

「墓も学び舎」
村井 英雄(むらい ひでお)

 寺院の多い京都で育ったせいか、私は墓好きである。幼い頃は遊び場で、いまは散歩場所である。
 それだけではない。墓からいろいろ学んでいる。例えば『「いき」の構造』を書いた哲学者の九鬼周造と、『貧乏物語』の経済学者、河上肇の名を最初に知ったのは、東山すその墓でだった。また、近世箏曲の祖、八橋検校と江戸時代の儒学者、海保青陵の名も、左京区・岡崎の墓で出会った。先人の名を墓石から得たのである。
 ほかにも墓には効用があって、小説の登場人物の名を、墓石から拝借しまくっている“バチ当たり”な作家も知っている。発見もある。墓には桜の木は多いが、梅の木は少ない。そして、墓の桜はなぜか美しいのである。梶井基次郎が「桜の樹の下には屍体が埋まってゐる」と、喝破した通りだ。
 森鴎外も墓好きで、掃苔(そうたい)をして、名作『渋江抽斎』を生んだ。『鴎外の坂』の著書、森まゆみさんは「墓は死者と生者を結ぶ縁(よすが)」と説かれるが、最近は、「葬式しない、墓もいらない」人が増え、残念至極である。後生のため、墓石に名を刻んで置いても、いいのではないか。もっとも、横着な作家の手にかかって、悪役の名に使われる恐れをなしとはしないが。
 ところで私は、こうした「墓の効用と発見」を、るる学生に語り、時には「教室を出て墓場へ行こう」と話して、笑われたりするが、墓も学び舎なのは、断じて、真実なのである。合掌。

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