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今という時間

今という時間 - [080]

「共生の願い」
鄭 早苗(ちょん ちょみょ)

 たぶんことわざはどこの国でも似たりよったりの内容が多いだろうが、私は「語りかける言葉がきれいだからこそ、返ってくる言葉もきれい」と「死ねばそれまで。生きて見なければ」という韓国のことわざをよく思い浮べる。どちらも積極的に生きていくためのことわざである。渋滞する車の列に横から別 の車が割り込んでき、その直後にウインカーでお礼の合図をされると、却ってこちらが「どういたしまして」と思い、前の車の人は良い人なんだと、たったこれだけのことで気分が良くなる。
 好意には好意で答えるということが連鎖すれば、社会はやわらかくなるし、本当は誰もがそれを願っていると思う。罵詈雑言を言いあえばケンカになり、かと言って、ののしられて耐えて黙ればつけあがる相手もいる。だから「目には目を」ということにもなるが、先頃のインドとパキスタンの核実験は、国家レベルではなく、地球レベルの問題である。この二国の核実験をめぐって最悪のシナリオを思い描く人もいるが、従来の核兵器保有国がまず「もう核兵器を持たない」と宣言することは夢なのだろうか。兵器で殺されたくないという人類共通 の願いも、国家や民族の利害で簡単にくつがえされてきたが、地球規模の恐怖を生む核兵器の根絶は今の時期だからこそ最優先課題になりうる。
 親しい人びとと楽しく語らい、悩み、一緒に食事する時間を長くもちたいという願望は民族や国家に優先する人間性の問題である。

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