3歳から柔道を始めた。小学生のときには全国大会出場。現在は子どもたちに受け身を教えに、時々近所の道場へ顔を出すこともある。中学ではバスケットボール、高校では陸上に熱中した。単身ふらりとハワイへ飛んだのは大学2年次。ホノルルマラソンを完走している。
「ずっとスポーツをしてきたので、体力には自信があります。それを活かせて体を張れる仕事を、と思い教育の道へ進むことにしました」
もう1つ、背中を押された思い出がある。初めて進路希望を示した久保田に、高校の先生から激励のメールが届いたのだ。「同僚として働けるのを楽しみにしています」と書かれたその文面に、グッと来た。
「同僚っていう言葉がすごく格好良くて、憧れたんです。うれしかった。これは大学4年間がんばらなきゃいけないと思いました」
先生になるにはどうすればいいですか?2015
(8) 久保田 恵美さん
大学へは、滋賀県長浜市の実家から毎日片道2時間近くかけて通った。1人暮らしをしようとは思わなかった。家が好きで、滋賀が大好きだから。田植えの手伝いも、漬け物のおすそ分けも、コンビニに置かれた「ご自由に」という無料の大根も、滋賀という土地はすべてが温かくてやさしい。
「教職支援センターでも、あの辺の席に滋賀県の子たちがいるから私も近くで勉強しようかな、という感じで自然に集まってしまうんですよね。気がついたら滋賀県民で肩を組んで、滋賀県の教師を目指す『チーム滋賀』が結成されていました」
チーム滋賀の友情は厚い。残念ながら1次試験に落ちてしまったメンバーも、当然のように「おめでとう、じゃあ次も手伝うよー!」と、2次試験を控えた久保田たちのために、面接の練習に付き合ってくれた。さらに教職支援センターの先生方に、1人1人の名前や試験対策の準備状況まで把握してもらえていることも、大変ありがたかった。
「私には、チーム滋賀と教職支援センター、そして琵琶湖が味方についていましたから」
久保田がここまで来られたのは、自分だけの力ではない。支えられ、助けられて今があるのだ。
3、4年次の夏、久保田は大谷大学のTAT(共に歩み隊)ボランティアツアーに参加した。東日本大震災の支援活動の一貫として、福島の子どもたちとキャンプへ。子どもたちは大自然に大喜びし、芝生に寝転び花を摘み、とても楽しそうに過ごしていた。けれども、保護者の方々の話を聞いたり、同じボランティア仲間と話をしたりするうちに、久保田は気づいた。
「目に見えない傷がまだ、子どもたちの心の奥には深く残っているようでした」
震災当時のこと、その後の生活のこと。不安も不便も、彼らは被災地にいて実際に体験している。それはただ、復興のニュースを見聞きしているだけでは分からないことだった。
目に見える形で現れるものばかりではない。見えないものまで見ることができる先生になりたい。
「そのためには、まずは子どもに信頼されないと。たとえば授業中に先生をつい『お母さん』と呼んでしまうような。子どもたちにとってそのくらい安心できる、居心地のいい教室にしたいです。間違えた本人は恥ずかしいでしょうけど(笑)」
心を開いて思い切りぶつかってきて欲しい。暑苦しいくらい、勢いのあるクラスを作りたい。受け止める覚悟はある。何しろ久保田には、スポーツで鍛えた人一倍の体力と根性があるのだから。
ホノルルマラソン完走記念
見事、3時間45分で完走したときに履いていた靴と、記念メダル&Tシャツ。1人で外国に行ったおかげか、「何とかなる!」という度胸と根性が身についた。





