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生活の中の仏教用語

生活の中の仏教用語 - [277]

歓喜

「歓喜」
木村 宣彰(学長・教授 仏教学)

 この夏の衆議院総選挙で歴史的な大勝利を得た人々は歓喜し、惨敗を喫した者は悲哀を味わっている。その選挙結果が「歴史的」と形容されるのは、歴史に基づく必然の結果であるというのか、歴史に残るような大きな意味があるというのか。何れにせよ、国民に歓喜を与える政治を期待したいものである。

 歓喜とは〈非常によろこぶこと〉である。仏の教えや名号を聞き、全身で宗教的な満足を感得するのが歓喜である。大乗経典の『無量寿経』には「仏の名号を聞くことを得て歓喜踊躍」とあり、『阿弥陀経』には「仏の所説を聞き歓喜信受」と説いている。歓喜信受は心に喜びが満ち溢れ、歓喜踊躍は身に現われる喜びである。親鸞は『教行信証』で「歓喜と言うは、身心の悦予の貌」と解釈している。

 阿弥陀仏は光明によって一切衆生を救済して余すところがない。衆生は光明に照らされて心に歓喜を生ずる。そこで阿弥陀仏は歓喜光仏とも呼ばれている。また、菩薩が長い修行の果てに煩悩を断じて悟りに近づき、喜びを得る位を「歓喜地(かんぎじ)」と言う。これを浄土教では「真実の行信を獲る者は、心に歓喜多きが故に是を歓喜地と名づく」(『教行信証』)と信心によって歓喜地に至ると説いている。このように仏教において歓喜は極めて重視される。

 ところで、私たちが「歓喜」で思い出すのは、ベートーヴェンの交響曲第九番ではないだろうか。その第四楽章で合唱される「アン・ディー・フロイデ」の原詩は、シラーの「歓喜に寄す」である。その冒頭でバリトン歌手が独唱する「おお友よ、このような歌ではなく、我々はもっと心地よい、もっと歓喜に満ち溢れる歌を歌おうではないか」という歌詞は、ベートーヴェン自らが考えたものである。古今東西の誰もが「もっと歓喜を」と願っている。
 
 しかしながら、私たちの判断する〈勝ち負け〉や〈良し悪し〉は、まことに身勝手で頼りないものである。凡夫である私と、その私が生きている世界における〈歓喜〉や〈勝利〉が、「まことあることなし」(『歎異抄』)とすれば、いつかは終わる〈そらごと〉〈たわごと〉に過ぎないと言わざるを得ないだろう。

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