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生活の中の仏教用語

生活の中の仏教用語 - [239]

畜生

「畜生」
中川 皓三郎(なかがわ こうざぶろう)(真宗学 教授)

 「こん畜生め」とか「畜生にも劣る所行だ」などと使われる「畜生」という言葉は、国語辞典を見ると「(人に畜(やしな)われて生きているものの意)禽獣・虫魚の総称。」とある。しかし、この言葉は、単に生き物を分類しての言葉ではない。いのちを生きるものが、それぞれに行った行為によって取るすがた、ならびに、その世界を表す「地獄・餓鬼・畜生・修羅・人・天」という「六道」の中の一つである。だから、私たちがどのようなものとして生きているのかを教える言葉である。
源信(恵心僧都)の『往生要集』(石田瑞麿訳・東洋文庫8・平凡社)によれば、畜生は「強弱たがいに危害を加え、相手を飲みこんだり、食い殺したりして、しばらくでも安らかであったためしがない。昼も夜もつねに恐怖心をいだいている」とある。このように、いつも恐れの中で生きているもののことである。そのため誰よりも強いものになって、恐れから解放されようとするのだが、上には上があるわけで、いつも恐れの中で生きざるを得ない。そのため、力の有るものに依存して生きようとするのだが、結局は、そのものに使われて、自立することのできないものとなる。これが畜生である。
また、この畜生は、「愚癡(ぐち)」という、道理を知らずに自分の思いを絶対化して生きるものが取るすがたであると教えられている。だから、力のないことが恐れの原因ではない。第二のお釈迦様と仰がれたインドの龍樹(りゅうじゅ)が、「一切の怖畏はみな我見より生ず」と語っているように、すべての恐れは、いのちの繋がりの中で生きているにもかかわらず、そのことを無視して、この自分がそれだけで存在していると考えるところから起こっているのである。
『涅槃経』には、お釈迦様がいつも語っておられた言葉として、「無慙愧(むざんき)」は名づけて人とせず、名づけて畜生とす」が紹介されている。ここでは自分の行いが、どれほど道理に外れたことであるかに気付かず、恥ずかしく思わない存在を畜生と表現している。そしてそれに気付くことこそが、人間を取り戻す一歩であると教えるのである。

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