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生活の中の仏教用語

生活の中の仏教用語 - [116]

大事

「大事」
沙加戸 弘(さかど ひろむ)(助教授・国文学)

 日常口にする。「大事な品物」、「大事な用件」、「大事な人」と。 もとは、さまざまの仏が人々を救済するために世に出現することを言う。「大事」、または「一大事」。我々の立場からは、出現した仏に出会うこと、仏道に志すこと、修行して悟りを開くこと、さらには自らの生き方を発見すること、何が自分にとって一番大切なことであるかを見出すこと、自分の一生をそれにかけてよいということに出会うこと、これが本来の大事である。
 『徒然草』の五十九段に、

 大事を思ひ立たん人は、去りがたく、心にかからん事の本意を遂げずして、さながら捨つべきなり。
とある。今の言葉にすれば、「自分の生れた目的を見出すために出家をしよう、と考える人は、どうしても心離れず気にかかって仕方がないという事も、これをやり遂げてから、などとは考えずに、全部捨ててすぐに行動をおこすべきである」ということになろうか。
 また一方では、生命に関わることも大事とよばれた。軍記物語などには、「大事の手」(生命に関わる手傷)と出てくる。
 さらに一般化して、冒頭の例のように、比較的重い事柄を大事とよぶようになったのである。
 時代劇の定まった表現の一つに、「御家の一大事」がある。当然これは武家の基準に従った大事である。何よりも大切なことを大事とよぶこと前述の通りであるから、単なる家臣の失態や事故などはこれに該当しない。「主家が存続するか否か」、これが武士における大事の認識である。
 大きな飢饉や戦乱の続いた室町時代、本願寺蓮如は、安心して生きるために、真実の法に出会うこと、そして我身ひとつのゆきどころを見定めることが「一大事」である、と喝破した。 
 自分にとって何よりも重く大切なこと、自らの心身と引き換えにできることのみを「大事」とよびたいものである。

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