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Home > 読むページ > 人間・清沢満之シリーズ > 天下七千ヶ寺

人間・清沢満之シリーズ

人間・清沢満之シリーズ - [07]

天下七千ヶ寺

「天下七千ヶ寺」
村山 保史(准教授 哲学)

 1895年、病に小康を得た清沢は京都の白川村に移住し、教界時言社を置いている。清沢ら6人の社員は「白川党」と呼ばれた。

 党の目的は全国末寺に宗門改革の必要性を訴えることであった。清沢によれば、大谷派宗門は人びとが安心に至る教えや学びを求める場である。しかし現実はどうか。当時、法主(ほっす)には醜聞が絶えず、末寺は長年の無理な経済的負担によって疲弊し、総じて教学は軽視されていた。これに対し、教学を「宗門の生命」と考える清沢は、宗門当局が教学を最重要事項とするよう、考え方の変革を求めるのである。

 1896年10月の『教界時言』創刊にはじまる宗門改革運動は多方面から支持を受けている。6月から京都高倉に学寮と学舎を共有する別組織として置かれていた(旧)真宗大学の学生は改革支持の宣言書を出した。これを知った渥美はまたも独断で学生を、今度は退学処分に処し、当日中に寄宿舎を出るよう命じたが、処分を予測していた関根仁応や佐々木、多田、暁烏を中心とする学生たちは荷物をまとめ、粛々と舎内を清掃し、最後の勤行を勤めた。その後、役割を分担して運動に参加し、地方に散って改革の必要を伝えた。新聞は運動の経過を伝え、「ルーテル、カルヴィンの功業を遂げよ」と激励した雑誌もあった。井上円了らは東京から改革を支援した。こうして、全国末寺から届いた改革請願書への署名は約2万人を数えた。12月末に渥美は執事職を退いている。

 渥美が退いたとはいえ、後継の石川舜台(いしかわしゅんたい)もまた老獪であった。いかに熱を帯びた運動であっても時が経てば冷めることを石川は知っていた。要求への返答を引き延ばしにする石川の作戦のうちに、やがて改革運動内には方向性の違いが生じ、分裂が浮き彫りになった。清沢は現状を変える行動によって得られる安心を求めたが、「天下七千ヶ寺」の末寺の多くがまず求めたのは日々の寺院経営の安泰であったのである。清沢は現実の寺院経営を知らなかった。1898年3月、『教界時言』は廃刊になっている。

 清沢の航路には、彼がまだ与り知らぬ現実が横たわっていた。この圧倒的な現実の前に、船は座礁したのである。

(『文藝春秋』2013年11月号)

※11月に発売される『文藝春秋』2013年12月号のタイトルは「自己とは何ぞや」です。

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