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きょうのことば

きょうのことば - [2015年05月]

仏教は人間探究の教えである。

「仏教は人間探究の教えである。」
『仏教学序説』 27頁

 新緑のまぶしい季節、新年度がはじまってから一(ひと)月が経ち、新しい環境で生活を始めた人も、ようやく慣れてきたころでしょうか。大学でも授業や部活、サークル活動などが本格的に展開し、自分の学びたいことや課題に腰を据えて取り組みはじめる雰囲気になったように感じます。

 大谷大学は、およそ2500年の歴史を有する仏教の伝統の上に立つ学場です。人間を対象とした学問や研究は、数え切れないほど存在すると言っていいでしょう。その中で本学は、「仏教」という視座から明らかにされ、探究されてきた人間の課題を問い、学ぶという伝統をもっています。したがって、標題のことばは、本学の「建学の理念」と深く関わるものであり、その意味する所を端的に表現するなら、「仏教とは、もっともリアルに人間を明らかにする教えである」と言うことができるでしょう。

 では、仏教のどのような点が、このように言えるのでしょうか。標題のことばが著わされた書物の中では、以下のように記されています。

仏教は人間探究の教えである。しかも…中略…人間の現実と本質をば人間の内側から把えようとする。この点からいえば仏教はすべて人間学の性格をもつものである。
 ここには、人間が作り出す時代や社会という現実とその根底に存在する不変的な本質とを、「外側」ではなく、「内側」からの理解を通して探究するところに仏教の特徴がある、と述べられています。重視されているのは、人間が生み出す現実を理解しようとする際、外面的な要因ではなく、人間存在の「内側」に潜む問題に向き合う姿勢です。

 例えば、私たちは友人関係がうまくいかない時、表面上の言動などにその原因を探して、それが解決すればうまくいくのでは、と思うことがあります。しかしこのような見方では、自分やその友人を深く理解することは難しいでしょう。なぜ友人は、あのような言動をしたのか。私はなぜ、それを受けとめられないのか。私と彼は、なぜ互いに歩み寄れないのかなど。このような人間関係の難しさについて、相手への非難に終わるのでなく、自分を責めるのでもなく、相互の「内側」に存在する課題を含めて人間関係を理解しようとすること。そのことが、人間関係の理解にとって不可欠なのだと思います。

 こうした視座から、日々経験される自分や他者との関係を振り返ることで、私たちは人間としてより豊かに深く生きるための大きな糧(かて)を得ることができるのです。

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