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Home > 読むページ > きょうのことば > 仏の教え給う趣は、事にふれて執心なかれとなり。

きょうのことば

きょうのことば - [2017年07月]

仏の教え給う趣は、事にふれて執心なかれとなり。

「仏の教え給う趣は、事にふれて執心なかれとなり。」
鴨長明(『新訂 方丈記』岩波文庫 39頁)

 仏教の趣意は「何事にも執われないこと」である。動乱の平安末期から鎌倉時代を生きた鴨長明(1155-1216)は、ブッダの教えの真意をそのように理解しました。標題のことばの核心である「執心」とは、心が執われていることです。要するに、何らかの「思い込み」に支配されている心の状態を指します。

 私たちは誰もが思い込みをもっています。より正確に言えば、ひとり一人が過去の経験や知識に基づく思い込みの中で生活しています。例えば「男性は/女性はこうあるべきだ」「学生は/社会人はこうでなければならない」と性差や規範に固執したり、「あいつは×××だ」「あの大学は/会社は×××だ」と一方的に断定したりすることがあります。つまり、過去の経験・知識と、自分が見聞きした限られた情報だけで、物事の価値を判断しようとするのです。少し立ち止まって冷静に観察してみると、こうした判断にはあまり正当性がないことに気づきます。しかし、心が執われている時には、まるで自分の判断だけが正解・正義であるかのように思い込み、決めつけがなされてしまいます。さらに、その判断を他人に押しつけようとするのです。

 そして、最も厄介であるのは、自分自身に対する思い込みです。様々な事柄に縛られて、「私はこうあらねばならない」「こう振る舞わなければならない」と固執したり、「私の意見は正しい、あなたの意見は間違っている」と断定したりします。また、自分と他人とを恣意的に比較した上で、些細なことで自分を卑下したり、他人を見下し優越感を抱いたりします。これはいわば、自分で自分に呪縛をかけている、自らが生み出した枠に自らが囚われている状態です。私たちは、あまりにも自分を中心としたものの見方に執われています。

 自分に対する思い込みを解き放つ道は、自身の心が執われている状態にあることを自覚する以外にありません。「こうあるべきだ」「こうでなければならない」と決めつけないこと、「これが正しいのだ」との思い込みを絶えず点検することから、執われを解き放つ道のりが始まります。仏教を学ぶということは、執われているにもかかわらず、そうしたことに全く気がついていない自分自身の姿を知ることなのです。標題のことばは、そのことを教えるものなのではないでしょうか。

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