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Home > 読むページ > きょうのことば > 私は私の苦悩にふさわしくなくなるということだけを恐れた

きょうのことば

きょうのことば - [2014年07月]

私は私の苦悩にふさわしくなくなるということだけを恐れた

「私は私の苦悩にふさわしくなくなるということだけを恐れた」
V. E. フランクル(『夜と霧』みすず書房 167頁)

 第二次世界大戦下、ユダヤ人という理由でアウシュビッツ強制収容所に送られた精神科医ヴィクトール・エミール・フランクル(1905-1997)は、奇跡的に生還し、その体験を「強制収容所における一心理学者の体験」として発表しました。

 強制収容所とは、フランクルの言葉をかりるなら「創造的な価値や体験的な価値を実現化する機会がほとんどないような生活」を強いる場所です。それでも「強制収容所にいる多くの人間は価値を実現化する真の可能性はまだ先である」と考えようとします。だからこそ、いつか収容所から解放されるという希望が、裏切られるような体験をした時に、多くの人が絶望のあまり亡くなっています。つまり、過酷な労働や栄養失調や伝染病もさることながら、「もはや何の拠り所も未来におけるある目的点に持たない」ということが人間にとっていかに致命的であるかを、このことは示しています。収容所という場所は、未来に向かって何かを期待し成し遂げてゆくことが価値のある生き方だという考えを完全に打ちのめし、「絶対的な未来の喪失」を人々に体験させたのです。

 ところが、そのような絶望的状況下ですら他人に優しい言葉をかける者や最後のパンの一片を与えて通って行く人の姿がありました。彼らはどこまでも人間であることをやめなかった人々、まさしく「その苦悩にふさわしく」あった人々である、とフランクルは言います。収容所の人間からあらゆるものを奪い取ることができたとしても、「たった一つのもの、すなわち与えられた事態にある態度をとる人間の最後の自由」を奪い取ることはできないのです。

 人生に何かを期待し成し遂げることに価値があるという発想を転換して、人生が毎日毎時提出する問いに応答し、責任を担うことにこそ人生の意味がある、とフランクルは考えます。人間に苦悩が課されるかぎりその苦悩を抑え込む、あるいはごまかすことでやわらげるのではなく、苦悩をひとつの課題として受けとめようとする態度です。究極的には何人(なんびと)も私の苦悩を取り去ることはできないし、代わりに苦しみ抜いてくれません。フランクルは標記の言葉を用いて、ひとりの人間であるかぎり、私が恐れるのは、自らの生涯のうちに経験する苦悩を課題として受けとめ、それに応答することをやめてしまうような存在になってしまうことである、と語っているのです。

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