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Home > 読むページ > きょうのことば > 何の笑いぞ 何の喜びぞ 常に燃えつつあるに 汝らは暗黒に覆われて 燈明を求めざるや

きょうのことば

きょうのことば - [2013年12月]

何の笑いぞ 何の喜びぞ 常に燃えつつあるに 汝らは暗黒に覆われて 燈明を求めざるや

「何の笑いぞ 何の喜びぞ 常に燃えつつあるに 汝らは暗黒に覆われて 燈明を求めざるや」
『ダンマパダ』(『ブッダの詩 I』原始仏典 第七巻 講談社 32頁)

 この言葉は、パーリ語で書かれた韻文経典の一節です。ほしいままに振る舞う人々に対して、煩悩の火が燃えているのに、どうして笑い、喜んでいられるのか。そして、無知の暗闇のなかにいて、どうして智慧の燈明を求めないのかと問いかけています。老いてゆく人々に対する釈尊からの問いかけの言葉として伝承されてきたものです。そして、これはまた、釈尊自身がかつて国王の息子ゴータマとして宮殿で過ごした青年時代に吐露せずにいられなかった内奥からわき起こる声でもありました。

 仏伝の創作者たちは、青年ゴータマが自分もまた老病死する存在であると自覚したときに、どのような態度をとろうとしたかありありと描きます。たとえば、美文体の仏伝文学作品の傑作として名高いアシュヴァゴーシャの『ブッダチャリタ』には、老人、病人、そして死人を見て、自ら歩むべき道を求めずにはいられなくなった青年ゴータマの姿と、かの王子を虜にしようと楽しそうに戯れる女性たちの姿とが、実に対照的に描かれています。老病死に直面したことで、もはや城のなかで何によっても満たされることがなくなった青年ゴータマは語ります。もし老病死がなければ私も美しい感官の対象を楽しむだろう。女性たちの美が永遠ならば、たとえ愛欲が悪しきことをもたらすとしても、私の心は愛欲に執着するであろう。しかし、老病死の恐怖を知った青年ゴータマは、あたかも火に焼かれたような世界を見ると、私の心は安らかさを得られず満たされないのだと言います。

 仏教の経典は、生物学的現象としての老病死を語ろうとしているのではありません。老病死は確かに本質的には生物学的現象であるけれども、それが人間にとって何を意味するかを仏教徒たちは問い続けてきたと言わなければなりません。老病死によって、すべてが奪われ、すべてが崩壊する。これほどの苦悩は他にはない。そして、紛れもなくそれは私自身にも起こる。それでもなお、私は豊かに生きることができるだろうか。この問いこそ青年ゴータマにとっての最大の課題であったし、仏教の根本問題だと言えるでしょう。

 このような問いを発せざるを得なかった若き青年ゴータマは、城を出て、つまり王子の地位を捨てて、沙門(しゃもん)【求道者】となって、ひとり歩みはじめるのです。

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