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Home > 読むページ > きょうのことば > 歴史とは、現在と過去との間の尽きることを知らぬ対話なのであります。

きょうのことば

きょうのことば - [2010年10月]

歴史とは、現在と過去との間の尽きることを知らぬ対話なのであります。

「歴史とは、現在と過去との間の尽きることを知らぬ対話なのであります。」
E.H.カー(『歴史とは何か』岩波新書 40頁)

 現代の日本の歴史教育の場では、私たちはしばしば、「こんな、今の私とは関係がなさそうな過去の出来事の羅列を学んで、何の意味があるんだろう?」という思いを抱いてしまいます。それは、歴史というものは「特定の主観」を排した客観的なものであるべきだと考えられ、一つ一つの歴史上の出来事に明確な意味が付されて語られることがほとんどないからです。確かに、「特定の主観」にもとづいて組み立てられ語られる歴史は、大変わかりやすいものの、「特定の主観」に都合の良い意味だけが付され、それ以外の評価を拒否するものになりがちです。

 しかし、イギリスの歴史学者E.H.カー(1892~1982)は、彼以前の多くの歴史家たちが、主観的な歴史理解に陥(おちい)ることをおそれて、客観的な実証に徹しようとしたのに対し、「歴史上の事実」とされるもの自体が、すでにそれを記録した人の心を通して表現された主観的なものだとしました。彼は人間の主観の根深さを指摘し、完全に「客観的」な姿勢などはないと、従来の考え方を厳しく批判したのです。

 それでは、歴史というものは、結局のところ、人間の身勝手な主観どうしがぶつかり合うものでしかないのでしょうか。

 この問いに対してカーは、歴史上の事実として記録された人々の心や思想を、「想像的に理解」することの大切さを述べています。「すでに主観的である」歴史上の事実と私たちが対話してゆく道は、自らの主観を相対化し問い直す存在として接しようとするところにこそ開けるといいます。
 そして、カーのこの姿勢は、「現在の眼を通して歴史を見ることの大切さ」という、彼のもうひとつの主張と密接にかかわっていると思われます。ここでの「現在の眼」とは、自らと自らを含む社会のあり方に問題や課題を感じて生きている私たちの意識を指している言葉と言えるでしょう。現在の自己と社会のあり方に問いを持ちつつ歴史を学ぶ時、私たちは、はじめて、自らに語りかけてくる存在として、過去と対話することができるのではないでしょうか。
 冒頭の言葉は、こうしたことを私たちに教えてくれているのです。

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