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きょうのことば

きょうのことば - [1997年04月]

自己とは何ぞやこれ人生の根本的問題なり。

「自己とは何ぞやこれ人生の根本的問題なり。」
清 沢 満 之『清沢満之全集』第7巻380頁

この季節、乗り物の中や街角では、真新しいス-ツ姿が目に付きます。入学式や入社式などのある4月は、門出の月でもありましょう。新しい生活、そしてそこでの様々な出会いを思って、期待に胸が膨らんでいる人も多いことでしょう。
 大谷大学の初代学長であった清沢満之は、「自己とは何ぞや。これ人生の根本的問題なり。」 という言葉で、自分自身に一つの大きな問いを投げかけています。それは、生きている中で多くの人や物事に出会ったには違いないが、私は本当に私自身と出会ったことがないのではないか、という問い掛けなのです。もし私自身と本当に出会うということがないままに人生が過ぎ去っていくなら、いくらたくさんの人や物事と出会ったとしても、「私の人生を生きた」とは言えないのではないか。だから、自分とは何であるのかということこそ、力を尽くして明らかにしていかなくてはならない私の人生の根本的問題ではないか。そう清沢は問い掛けているのです。
 そしてこれは、現代を生きる私たちに対する問い掛けでもありましょう。また呼び掛けでもありましょう。なぜなら私たちも、喜んだり悲しんだりさせられる様々な人や物事との出会いはあっても、本当に自分自身と出会うということがないままに生きているからです。しかも、「私はこう思う」とか「私はこうだからね」というように、あたかも自分のことは自分で良く分かっているつもりで生きているのです。そんな私たちに対してこの言葉は、あなたは本当にあなた自身と出会っていますか、と問い掛けているのです。そして、どうか自己を明らかにしてこの人生を生きていてください、と願っているのです。
 この問い掛けと願いを、全ての学びの根本においているのが大谷大学なのです。確かに、専門に学ぼうとする分野は各人それぞれに異なっていることでしょう。けれども、その学びが自己を明らかにしていくものでないならば、それはこの大学の願いとする学びではないのです。たとえどのような分野の学びであろうとも、その学びを通して、人生の根本的問題としての自己を明らかにしていって欲しい。そのことこそ大谷大学での学びの質として願われていることなのです。
 お互いに、誰とも代わることのできない、ただ一度限りの人生を生きているのです。だからこそ、自分と本当に出会って生きていって欲しい、そう大谷大学は願っているのです。新しい学びの出発点に立った今、この願いに耳を傾けながら、お互いに学びを深めていきたいと思います。

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