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Home > 読むページ > きょうのことば > 真の朋友は、互に相求むる必要がない。

きょうのことば

きょうのことば - [2007年10月]

真の朋友は、互に相求むる必要がない。

「真の朋友は、互に相求むる必要がない。」
清沢満之「真の朋友」(『清沢満之全集』第7巻 p.311)

 私たちにとって友人とはかけがえのない存在であることは言うまでもありません。しかし私たちは、その友人に対して何かを期待してしまうことがしばしばあります。その期待が満たされなければ、裏切ったとか裏切られたという感情を持ち、友人との関係が気まずくなってしまうことも起こってきます。その原因は、いったいどこにあるのでしょうか。

 冒頭の言葉は、大谷大学の初代学長清沢満之(1863~1903)が1903年に雑誌『政教時報( せいきょうじほう)』に発表した論文「真の朋友」の一節です。清沢満之はこの中で、「真の朋友」、つまり私と他者との間に本当の意味での友人関係が成り立つのはどのようなことによるのか、またその関係はどのようなものであるのかを論じています。

 「真の朋友は、互に相求むる必要がない」と清沢満之は言います。そして、私たちが友人に対して何かを期待してしまうのは、「自分において不充分な所があるから、その欠陥を補うがため」であると言うのです。つまり、友人との関わりを壊していく原因を、他でもなく自分が自分自身に対して懐いている不平や不満であると指摘するのです。

 日ごろ私たちは自分と他者とを比較しながら生きています。そのために常に優越感や劣等感を懐き、それを解消するはけ口をあらゆることに追い求めています。そのはけ口を友人に向けてしまうならば、自分にとってかけがえのないはずの友人という存在が見えなくなってしまいます。友人に依存するあまり自分を見失ったり、友人を自分の都合で利用してしまうことも、実はそのために起こってくるのではないでしょうか。

 清沢満之は「真の朋友」を見出す上で必要なことは、相手に対して何かを求めることではなく、まず自らが自らに「真の朋友たる資格を求むる」ことであると確かめています。この「真の朋友たる資格」について清沢満之は、自らのありようを見つめ、自分自身に充足して「本分を尽くす」生き方であり、それを私たちに明らかにするのが「宗教」であると言います。それゆえ「真の朋友は宗教的根拠に立つものでなくてはならぬ」と言うのです。

 「天上天下に唯(ただ)我独(ひと) り尊し」という釈尊の誕生の言葉にも教えられている通り、私たちの一人ひとりが等しく尊い者として誕生し生きています。まず自らのその事実に眼を開くところに、私と他者との間に本当の意味での関係が開かれるのであり、自らと友人との間に「真の朋友」という豊かな関わりが見出されていくのです。

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