今という時間 - [165]
「重ね着」
村山 保史(むらやま やすし)
陽の射し込む教室で授業をしているときに、後ろの方でキラキラ光るものが目についた。プリントを配るときに確かめたら、とあるブランドをかたどったイヤリングだった。
よほど奇抜なものでない限り、学生の身なりには驚かない。だがこのときは不思議と気にかかって、授業を続けながらあれこれ考えていた。
イヤリングが嫌いなわけではない。教室でチャラチャラしてケシカラン、と堅いことを言うつもりもない。むしろこのことは、私のブランド観にかかわっている。
人気があろうとなかろうと、私は私自身がブランドであると思っている。人の外側にあるブランドに加えて、内側にあるその人自身。両方をブランドだと考えているのである。この意味で、イヤリングをつけた当の学生自身もまたブランドに違いない。これみよがしにブランドの上にブランドを“重ね着”する学生を奇妙に感じたのである。
こうも考えた。こんなことを奇妙に感じること自体、自信のなさを暴露しているのではないか。逆に、自分ブランドに他人ブランドを重ねて平気でいられるのは、それだけしたたかな人なのかもしれない。そう気づいたときには、すでにエスケープしたのか、学生の姿はなかった。