ここからサイトの主なメニューです
  • 大学概要
  • 教育情報の公表
  • 入試情報
  • 新着一覧
  • 文学部 (2018年以降入学者)
    • 真宗学科
    • 仏教学科
    • 哲学科
    • 歴史学科
    • 文学科
    • 国際文化学科【2021年度募集停止】
  • 社会学部
    • 現代社会学科
    • コミュニティデザイン学科
  • 教育学部
    • 教育学科
  • 国際学部 (2021年4月新設)
    • 国際文化学科
  • 文学部 (2017年以前入学者)
    • 真宗学科
    • 仏教学科
    • 哲学科
    • 社会学科
    • 歴史学科
    • 文学科
    • 国際文化学科
    • 人文情報学科
    • 教育・心理学科
  • 大学院文学研究科
    • 真宗学専攻
    • 仏教学専攻
    • 哲学専攻
    • 社会学専攻【2019年6月廃止/修士のみ】
    • 仏教文化専攻
    • 国際文化専攻
    • 教育・心理学専攻
  • 短期大学部
    • 仏教科【2019年6月廃止】
    • 幼児教育保育科【2019年度募集停止】
  • 教員一覧
  • 学習支援
  • 地域連携
  • 国際交流/語学学習
  • 就職情報/キャリア支援
  • 学生生活サポート
  • クラブ活動
  • 学術研究
  • 生涯学習講座
  • 高大連携
  • 教員免許状更新講習
  • 校友活動
  • 図書館
  • 博物館

Home > 読むページ > 今という時間 > 望という杖

今という時間

今という時間 - [151]

「望という杖」
番場 寛(ばんば ひろし)

 欲望はそれが肥大して行き着く果てとしての消費社会や、環境破壊の原因として論じられることが多いが、時にまったく違った姿を見せることがある。
 ジャック・ラカンの「人の欲望は<他者>の欲望である」という表現は、人間はどんなに自発的に欲望しているように見えても実際は、言語という仕組みの中で他人に倣って欲望させられているのだということを示している。
 自分が本当は何を求めているのか分からないにもかかわらず、具体的な対象を求めてしまいそれを手に入れたと思った瞬間、別の対象が欲しくなってしまう。まるであらゆるものを飲み込んでしまう底なしの欠如でありながら、「・・・が欲しい」という形でしか何かを求めざるを得ないため、その「欲望の対象」を数式における未知数Xのように「対象a」と名づけたのはラカンの功績である。
 ところで、「死のうと思っていた」正月に、贈られた着物の生地が夏に着るものだと知って、「夏まで生きていようと思った」と書く太宰治にとって、欲望の対象は何かものではなく、空虚な「対象a」としての「着物をまとう行為」だったのだろうか。「夏まで」という言葉にすでに現実を持続のもとに捉え、未来に思いをはせる感覚が生まれている。欲望とは、よろめき、いますぐにでも崩れ落ちてしまいそうな生を支えている杖のようなものではないだろうか。

Home > 読むページ > 今という時間 > 望という杖

PAGE TOPに戻る

ここからサイトの主なメニューです