今という時間 - [146]
「「頑張り」再考」
中桐 伸吾(なかぎり しんご)
今年も卒業する学生に「卒業後も頑張れよ」と激励した。このように、私たちは自分の決意の表明や他の人を応援するとき、「頑張り」という言葉をよく口にする。
「頑張り」という言葉は日本独自のもので、もとは「我を張る」の意味であったが、明治以降に「耐えてやり抜く」に変化した。この「頑張り」という言葉が一躍脚光を浴びるきっかけとなったのが、昭和11年のベルリン・オリンピックのラジオ放送「前畑ガンバレ」であった(『頑張り』の構造」天沼香)。
「前畑ガンバレ」でもわかるように、「頑張り」とは勝つために自己の持てる力を全て発揮することである。そして、スポーツの場面ばかりでなく日常生活でも頻繁に使われるようになった。
私たちは普段、何気なく「頑張り」という言葉を使っているが、これには方向性が感じられる。それは、勝つことを目的とした外への「頑張り」と、自己のベストの発揮に重点をおいた内への「頑張り」である。
スポーツの場合、外への「頑張り」を過剰に意識すると、「勝つと思うな、思えば負けよ」の歌のごとく、かえってマイナスの状況を招くことが多い。逆に、内への「頑張り」を重視したとき、最高のパフォーマンスを発揮する傾向が見られる。
私たちはこれからも頑張りつづけるだろう。何のための頑張りかを考えながら。