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生活の中の仏教用語

生活の中の仏教用語 - [316]

地位

「地位」
織田 顕祐(教授 仏教学)

 あの人は高い地位にある、この人は指導的な地位にある、という具合に使う言葉である。先日は、横綱の地位にある日馬富士が五連敗したといって話題になった。このように現代語としての「地位(ちい)」は、その人や物事の相対的な位置とか、身分や関係の上下といったことを表わしていて、「地位」という言葉自体に何か特別の意味があるわけではない。ところが、仏教語としての「地位(じい)」は、極めて重要な意味を持っている。

 仏教語「地位」は、菩薩が仏になるためにどうしても経なければならない道のことである。菩薩と言えば、観音菩薩や文殊菩薩の名がよく知られて、人々の信仰を集めているが、元は仏教の精神そのものを表現する言葉である。観音や文殊は、その精神を人格的に表現したものである。その、菩薩が仏になる道を、「菩薩道」と言うが、大乗経典でこれを中心的に説くのは『華厳経(けごんぎょう)』である。『華厳経』は、あの東大寺の大仏の根拠となった経典である。つまり、大仏は偉大な菩薩精神が完成した姿を表わしていると言える。それで、大仏を説くからにはその経の功徳も絶大であると考えられて、古代から良く学ばれ、写経の際には重要なテキストになった。その『華厳経』が説く菩薩の道を「十地(じゅうじ)」と言い、その他の課題と区別して、この十地を特に「地位」と呼ぶのである。『華厳経』は、「十」を完全な数と見て、あらゆることを「十」の観点から説く。また「地」とは地面のことで、拠り所を意味している。菩薩はしっかりと地面を踏みしめながら、仏となる道を歩んで行くのである。

 ところで、『華厳経』は、十地の歩みの中で最も重要なことは、初地に立つことであると説いている。その為には、自らの課題(願)と清らかな行い(善)が揺ぎ無いものとなっていなければならないと説く。その上で初めて、本当の歩みが始まると言うのである。つまり「地位」に就くことは、始まりであって目的ではないのである。その始まりに立つためには、揺ぎ無い決心と相応の実力が必要だと言うのである。

 例えて言えば、社長などの高い地位に就くことは、結果であって決して目的ではないと教えているのである。

(『文藝春秋』2013年2月号)

※2月に発売される『文藝春秋』2013年3月号は、藤嶽明信教授(真宗学)による「見分(けんぶん)」です。

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