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生活の中の仏教用語

生活の中の仏教用語 - [293]

明朝体

「明朝体」
沙加戸 弘(教授 国文学)

 仏法の経典、その注釈、僧の守るべき規律等、凡そ仏法に関わる全ての書物を集成した一大叢書を一切経と呼び、別に大蔵経とも称する。

 中国で編纂され、宋の時代に勅命によって初めて出版された。これには『開宝蔵』の名がある。この一切経は平安時代、東大寺奝然(ちょうねん)によって我国にもたらされ、藤原道長の蔵するところとなったが、火災により奝然請来経は現在に伝わらない。

 近世、中国黄檗山隠元隆琦(りゅうき) 、長崎崇福寺逸然の請に応じて承応三年七月長崎に来着。将軍家綱、寺地を山城宇治に寄進、以て一寺を興さしめた。これ今の宇治黄檗山萬福寺である。

 この時、隠元は本寺黄檗山萬福寺に下賜された明の勅版一切経の副本を携えて来朝した。

 隠元隆琦の高弟にして宇治萬福寺の二代を継いだ、木菴性瑫(もくあんしょうとう)の弟子鉄眼道光は、本朝に一切経の広く刊行されたものがないことを憾とし、一切経の刊行を発願した。

 これを隠元に告げるや、隠元大きに喜び、携えて来た明の勅版大蔵経を寄与し、また山内の地を与えた。現存する宝蔵院がこれである。

 鉄眼道光は京都に印房を設け、全国を行脚して募財し、寛文九年より天和元年に至るまで、十三年の歳月をかけて印刻・出版を完遂した。この十三年の間、両度の飢饉に遭遇、その度に集めた財を悉く窮民に施与した。為に募財は三度に及び、「道光は生涯に三度大蔵経を成ず」と称された。

 これが世に、黄檗版あるいは鉄眼版と謳われる一切経である。

 前述の如く、元(もと)版は隠元のもたらした明版一切経、鉄眼版はそのままの覆刻で、この書体が「明朝体」である。

 現在、一般の印刷から個人の印刷まで、一番多く眼にするこの書体は鉄眼版一切経に由来するのである。

 また、一行二十字、一紙四百字の原稿様式も、この黄檗版一切経によって確立した。

 仏法と漢字を最たるものとして、中国・朝鮮から我々が受けたまことに深く大きい恩恵を、改めて思うものである。

(『文藝春秋』2011年3月号)

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