ここからサイトの主なメニューです
  • 大学概要
  • 教育情報の公表
  • 入試情報
  • 新着一覧
  • 文学部 (2018年以降入学者)
    • 真宗学科
    • 仏教学科
    • 哲学科
    • 歴史学科
    • 文学科
    • 国際文化学科【2021年度募集停止】
  • 社会学部
    • 現代社会学科
    • コミュニティデザイン学科
  • 教育学部
    • 教育学科
  • 国際学部 (2021年4月新設)
    • 国際文化学科
  • 文学部 (2017年以前入学者)
    • 真宗学科
    • 仏教学科
    • 哲学科
    • 社会学科
    • 歴史学科
    • 文学科
    • 国際文化学科
    • 人文情報学科
    • 教育・心理学科
  • 大学院文学研究科
    • 真宗学専攻
    • 仏教学専攻
    • 哲学専攻
    • 社会学専攻【2019年6月廃止/修士のみ】
    • 仏教文化専攻
    • 国際文化専攻
    • 教育・心理学専攻
  • 短期大学部
    • 仏教科【2019年6月廃止】
    • 幼児教育保育科【2019年度募集停止】
  • 教員一覧
  • 学習支援
  • 地域連携
  • 国際交流/語学学習
  • 就職情報/キャリア支援
  • 学生生活サポート
  • クラブ活動
  • 学術研究
  • 生涯学習講座
  • 高大連携
  • 教員免許状更新講習
  • 校友活動
  • 図書館
  • 博物館

Home > 読むページ > 生活の中の仏教用語 > 呵責

生活の中の仏教用語

生活の中の仏教用語 - [253]

呵責

「呵責」
木村宣彰(きむら せんしょう)(学長・教授 仏教学)

 「良心の呵責」という言葉は、今や意味を持たないのであろうか。H・L・メンケン(1880-1956)は「良心とは、誰かが見ているかも知れないぞ、という心のささやきだ」と語っているが、昨今はその「心のささやき」が失われてしまったようである。政治とカネの問題、理由なき行きずりの犯罪など、実に嘆かわしい事が多い。
 「呵責」という語は、1604年に日本耶蘇会が刊行した『日葡(にっぽ)辞書』にも「Caxacu(カシャク)。セメ、セムル」とある。漢音の「カ・セキ」ではなく、「カ・シャク」と呉音で発音されている。仏教語は呉音で発音する。〈叱り責める〉〈責めさいなむ〉ことを意味する「呵責」は、元来、仏教語である。
 仏教教団の戒律を定めた『四分律』には「呵責犍度(かしゃくけんど)」という一章がある。そこには、闘争を好み、互いに罵倒し合い、刀剣で争う二人の比丘に「呵責」という罰が与えられたことを記録している。そののち教団において罪を犯した者は、人々の面前で、呵り責められ、種々の権利を奪う罰が与えられるようになった。これが「呵責」である。罪を犯した比丘を更生させるための「治罪法」として行われる「呵責」は、他人から責められるが、他人から責められる前に、自責の念に駆られるのが「良心の呵責」である。
 仏教の故国インドの独立の父と称されるマハトマ・ガンジー(1869-1948)は、60年前に今日の社会を見通したかのように、世を荒廃させる「七つの社会的大罪」を挙げている。すなわち「理念なき政治」「労働なき富」「良心なき快楽」「人格なき学識」「道徳なき商業」「人間性なき科学」「献身なき宗教」である。社会に満ち溢れたこのような「大罪」の治罪法こそ喫緊の課題である。仏典の「呵責」は個人に対する治罪の法であるが、今や社会的大罪に対する「大呵責」が焦眉の急である。
 『今昔物語』に「聖人、瞋恚(しんい)を以て弟子童子を呵責し」という一文がある。罪に対して怒りをもって呵責する聖人も、日本が直面する「社会的大罪」のあまりの非道さに愛想が尽きたのではないだろうか。

Home > 読むページ > 生活の中の仏教用語 > 呵責

PAGE TOPに戻る

ここからサイトの主なメニューです