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生活の中の仏教用語

生活の中の仏教用語 - [237]

玄翁

「玄翁」
沙加戸 弘(さかど ひろむ)(国文学 教授)

 電動工具の発達と普及によって、昔ながらの大工道具・石工道具は今急速にその姿を消しつつあり、その名称も生活に馴染み深いものから、博物館用語へと移ろいつつある。
 標題に掲げた「玄翁」もそのひとつ。物打ちの部分に鉄を用いた大工・石工用の槌である。金槌と称した方がわかりやすいが、これは片方が尖ったものではなく、両面が平になっているものである。厳密に言うと大工用のものは、片方が平面で釘打ち・鑿(のみ)叩きに用い、今一方はわずかにふくらみがもたせてある。この面は柱等に打ち込んだ大釘を最後にここで打って、木の面と同じにするために用い、木殺しと称する。
 その昔、三国に亘って災いをもたらした金毛九尾の妖狐あって、我が朝にては優女玉藻の前(たまものまえ)と現じて鳥羽上皇の寵愛を受け、上皇の御命をうかがい王法を傾けんとしたところ、陰陽師安倍泰成のために調伏せられ、都を出て海山を越え、下野の那須野に隠れ棲んだ。が、勅命を受けた三浦の介・上総の介両名の矢の下に射伏せられ、遂にその生を終えた。しかしながら、命は露と消えてもその執心は那須野に遺り、石と変じて殺生石となって傍を通るものをとり殺した。ここを通りかかった南北朝時代の曹洞宗の名僧玄翁心昭〔源翁とも。玄能は宛字である。〕哀れを観じて石を砕き成仏せしめた、と伝えられ、この伝説は謡曲『殺生石』その他の素材となった。
 三百年の時を経て、元禄二年四月旅の途上那須野を訪れた松尾芭蕉は、『おくのほそ道』に、

殺生石は温泉の出る山陰にあり。石の毒気いまだほろびず、蜂蝶のたぐひ、真砂の色の見えぬほどかさなり死す。
と記している。金毛九尾の妖狐の災いの余韻と言うべきか。
 石を砕く時、玄翁和尚が用いたので、前述の形状を持つ金槌は、玄翁と称せられるようになった、と伝えられる。
 生活の中に玄翁が活躍していた時代は過ぎたが、生を殺すものを一撃、仏果に至らしめる玄翁がまこと必要なのは、おそらく現代なのであろう。

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