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生活の中の仏教用語

生活の中の仏教用語 - [216]

寺

「寺」
浅見 直一郎(あさみ なおいちろう)(助教授 東洋史)

 太常寺(たいじょうじ)、光禄寺(こうろくじ)、宗正寺(そうせいじ)、大理寺(だいりじ)、鴻臚寺(こうろじ)……。今から千三百年余り前、唐の都・長安に甍(いらか)を並べていた建物である。さすがに天下の大都、壮大な伽藍が連なっていたのだな、と思うと、実はそうではない。今あげた建物の中に、仏教のお寺は一つもない。すべて官庁の名称なのである。
 中国に仏教が伝来したのは西暦紀元前後のこととされているが、寺という文字はそれよりずっと前から存在した。現在は仏寺の意味で使われるこの文字も、元来は別 の意味で使われていたのである。
 寺という文字の原義は「手を動かして仕事をする」ことだという。そこから、仕事をする場所、特に役所を寺と呼ぶようになった。唐の時代には何々寺という役所が九つあったので、総称して九寺といい、冒頭にあげたのはその一部である。
 ところで、伝説によれば、後漢の明帝の永平十年(六七)、白馬に経像を積んだ迦葉摩騰(かしょうまとう)・竺法蘭(じくほうらん)という二人の僧が都の洛陽に来たのが、仏教の中国初伝であるという。明帝は彼らを、外国人を担当する役所である鴻臚寺に入れ、のち郊外に白馬寺を建立して住まわせた、とされている。
 この話によれば、仏教の施設を寺と呼ぶのは、役所の名称に由来するものであることがわかる。しかし、仏教が広まってその施設が増加するにつれ、両者は別 のものと意識されるようになっていった。唐の時代、都の長安には官庁の寺と仏教の寺とが並存していたのである。ただし、官吏など一部の関係者を別 にすれば、一般の人々にとって馴染みが深いのは仏寺の方であったと思われる。
 仏教がまだ伝来していなかった前漢時代の歴史を伝える『漢書』の中に「寺門」という言葉が出てくる。この言葉について、唐の初めに『漢書』の注釈を書いた顔師古(がんしこ)は「寺門とは官庁の大門である。秦・漢の時代、官庁は多く寺と称した。寺門は官庁の門であって、仏寺の門ではない」と説明している。唐代の人々が「寺門」という言葉で最初に思いうかべるのは仏寺の門だったのであろう。
 日本文化の特徴をとらえて翻訳文化と呼ぶことがあるが、その表現を借りれば、中国の仏教は偉大な翻訳文化である。一つ一つの言葉の意味をたどるだけでも、興味は尽きない。

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