今日の日はあるまじきと思え

『蓮如上人御一代記聞書』(『真宗聖典 第二版』東本願寺出版 1047頁)

 『蓮如上人御一代記聞書』(れんにょしょうにんごいちだいきききがき)は、本願寺教団の再興を成し遂げた第 8 代蓮如(1415~1499) の言行録で、蓮如が語った具体的で平易な教えや、人々と向き合う生き生きとした姿を今に伝えています。

 蓮如は 27 歳で結婚しますが、41 歳のとき妻と死別します。さらに再婚した妻や頼りにしていた長男をはじめ多くの子どもたちにも先立たれるという別離を経験します。別れを悲しむこの身も明日あるとも分からない命を生きているという、諸行無常の厳粛なありようを、誰よりも痛感していたはずです。

 標題の言葉は、「私たちはいつ終えるともわからない命を生きているのであり、今日という日でさえも全うされないと思え」という大変厳しい言葉です。このような言葉を投げかけられると、私たちは不安を感じたり、暗い気持ちになるかもしれません。避けることのできない「老・病・死」という身の事実の前では、どれほどのお金や社会的地位であっても空しいものに感じられます。

 しかし、この言葉は、毎日を何気なく、当たり前のように過ごしている私たちを立ち止まらせ、今という一瞬のかけがえのなさに気づかせるものでもあります。しかも、ここでは一度限りの人生を大切に生きなさいと述べているだけではありません。この言葉に続 けて、「仏法のうえにては、明日のことを今日するように」と語っています。仏法のことは、明日できることでも繰り上げて今日するべきだと。

 仏法とは、自己とは何か、私が本当に大切にすべきこと、私の本当の願いとは何か、そうした人生の根本問題を明らかにするものです。ところが、そうした問いが心の底から湧き起こっても、目の前にある授業の課題やアルバイト、さらには日常生活の雑事に追われる中で、いつの間にかかき消され、優先順位は低いままになっていないでしょうか?

 私たちに与えられた時間は無限ではありません。死にゆく命を生きる私たちは、人生の根本問題を問い続け、応答し続けなくては、どれほど華やかな生活を手に入れたとしても、こんなはずではなかったと、空しく終わってしまうのでしょう。この言葉は、そんな私たちの生活全体を問い直し、人生の出発点にあるべき大切な問いに今すぐ向き合うよう呼びかけているのです。

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