ちょっと堅苦しいかもと思って入った仏教学科は、蓋を開けてみると、浅井さんにとってとても楽しいところでした。様々な仏教のエピソードも、そこに潜む本質を知るのが面白いと言います。仏教が長く伝えられてきたのは、世界各国でそこに見出された価値を言葉で表現した蓄積があるからだと教えられ、自分の言葉で語ることの重要さを噛み締めています。新たな世界に踏み出す勇気を持つことこそが努力することだと心に留め、一層勉強に励むつもりです。

07 視座を変え、位置も自由に変えて広い世界を見る

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釆睪:将来的なことはどう考えていますか?
 
浅井:最終的には、父親の仕事を継ぎたいっていう目標があるんですけど、社会に出て経験を積んでから継ぐっていう話になってますので、自分でまずは食べていけるようになりたいと思います。
 
釆睪:将来的に向かう方向が見えているとそれだけでも気が楽ですよね。安心して寄り道ができるから。それは羨ましいな。でも時代の移り変わりが早いから、どうなるかわからないね。いろいろと視座を変え、見る位置を自由に変えることができるようになると、また変わってくるかもしれません。広い世界を知らないと、お父様がやってきた世界でしか仕事ができなくなっちゃう。そして浅井さんが引き継ぐ頃には、それでは成り立たなくなっていってしまうかもしれない。だから広い世界を見ることはものすごく大事なのかなという気がします。
 
浅井:そうですね。先生が仏教に興味を持ったきっかけは何ですか?
 
釆睪:僕はもともと人間って何だろうっていうことを考えたくて、哲学科に進もうかと思ったんですけど、語学をやらないといけなかったんです。僕は語学は手段でしかないからそんなものに時間を取られるのは嫌だなと思って、他大学の文学科に入ったんです。それで大学を卒業して、就職するか、実家がお寺なので住職になるための資格を取って大谷大学で勉強するなら学費は出してやるって言うんで、さらに2年間遊ぶつもりだった。でも親の言う通りになりすぎるのも嫌だから、真宗学じゃなくて仏教学にしておくか、って感じで入ったのが運の尽き。面白かったんですよ。
 
そうしてつい学生を11年もやっちゃった。語学を避けてきたのに、気がついたらサンスクリットにパーリ語、チベット語、漢文もやってますね。パーリ語は他の授業と時間が重なったから、学外に習いに行って。チベット語は授業だけでは足りなくて、別の勉強会でもやったし。まあそんな感じで面白いと思ってやってきたので、今の学生さんにどれだけ面白く思ってもらえるかなっていうのが、僕自身に課してる使命です。
今の時代ですから、覚えるってことを目的にしなくてもいいと思うんですけど、こんな人がいたとかこんな概念があったって知っておくことは大事ですね。そういう意味で僕の授業の試験は、暗記ものはできるだけ減らしました。勉強って、基本的に頭ではなく体を使って覚えるものなんです。どれだけ手を動かしてやったか。だから数をこなしましょう。授業だけじゃ足りないのでね。
 
浅井:はい、頑張ります。

PROFILEプロフィール

  • 釆睪 晃

    文学部 仏教学科 教授



    1969年、大阪府生まれ、滋賀県育ち。安曇川高校卒業。明治大学文学部文学科、大谷大学文学部仏教学科を卒業。1999年、大谷大学大学院文学研究科博士後期課程満期退学。2004年大谷大学文学部着任、2010年同大学准教授、2021年同大学教授、現在に至る。
    異国の宗教でしかなかった仏教が、中国においてどのように受容されていったのかに興味を持っている。特に、5世紀初頭に活躍した鳩摩羅什は、大乗仏教を初めて体系的に中国に伝えたという点で注目すべき人物である。鳩摩羅什自身はどのような思想を持っていたのか、また、その周囲にいた人物は鳩摩羅什からどのような影響を受けたのかを中心に研究を進める。



  • 父親に薦められたことと、大学の雰囲気や環境が自分に合ったことから、大谷大学を目指すことにした。入学して実際に授業を受けてみると、堅苦しいかもと思っていたイメージとは異なり、伝説が多い仏教のエピソードも、そこに潜む本質を知るのが面白いと感じている。
    学業以外では映画研究部に所属しており、大学生のうちにいろいろなことをやってみたいと思っている。将来の目標も最終的には父親の仕事を継ぎたいと考えているが、大学卒業後はまず社会に出て経験を積む予定。