ちょっと堅苦しいかもと思って入った仏教学科は、蓋を開けてみると、浅井さんにとってとても楽しいところでした。様々な仏教のエピソードも、そこに潜む本質を知るのが面白いと言います。仏教が長く伝えられてきたのは、世界各国でそこに見出された価値を言葉で表現した蓄積があるからだと教えられ、自分の言葉で語ることの重要さを噛み締めています。新たな世界に踏み出す勇気を持つことこそが努力することだと心に留め、一層勉強に励むつもりです。

04 勇気を持って「我慢」から抜け出す

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釆睪:浅井さんは大学ではどんな活動をやっていますか?
 
浅井:学業以外では映画研究部に所属してます。今はコロナの影響で外での活動は自粛しなきゃいけない時代ですので、屋内でも充実した生活を送りたいなと思って入りました。映画を語れるほど映画通ではないので、誰かと見ると良いかなと思って。あとは、1人暮らしをしてるので、自炊をしてます。それも日々の勉強だと思ってやってます。
 
釆睪:家事はなかなか大変なんですよね。大抵の家事は、マイナスになってしまったものをゼロに戻す行為ですから。料理以外は。でもそういうところに目が向けられるっていうのは大きいかもしれないです。今、何かやりたいことあります?あるいはこうなりたいとか。
 
浅井:それがなかなかないんです……。今は別に何かやりたいとか考えなくても世の中が便利すぎて生きて行けちゃうので、恥ずかしいんですけど、目標とかは特にないですね……。
 
釆睪:そう、幾ばくかのお金があれば、とりあえず生活できちゃうもんね。日払いのバイトとかもありますし。そういう意味では、期待を持つっていうことは大事かもしれないですね。何かあるんじゃないかって思うことは、現代にとっては大事な選択なのかもしれない。何があるかわからないけど、とりあえず踏み出してみる。
仏教の言葉に「精進」っていうのがあるんだけど、それは努力するという意味なんですね。そして努力することの内実は、勇気を持つこと。努力っていうと、来る日も来る日も嫌でも繰り返します、みたいなイメージを持ちがちなんだけど、勇気をもって今まで見たことのない世界に踏み出していくということが、精進として大事なんだろうと思うんですね。同じことを繰り返すのは仏教では「我慢」って言うんです。この字は「我」に「慢」って書くでしょ。「慢」ってどういう意味かわかる?
 
浅井:何となくしかわからないです……。
 
釆睪:「慢」っていうのは「思い上がり」っていう意味なんです。「我」っていうのは、授業でやったと思うけど、「アートマン」っていう意味です。「これはきっとこうなるはずだ、今しんどくってもしばらくすればこの成果が花開くはずだ」っていうのが「我慢」。現代では「今の若者は我慢が足りない」と、我慢がまるで素晴らしいことのように言われますけど、仏教では「我慢」は最悪なことですね。だって、今までそうだったからといって次もそうだとは限らないから。だから勇気を持って一歩踏み出すのが大事。「我慢」は知らず知らずのうちに抜け出せない穴に落ちるきっかけになりかねない。だから勇気を持ちなさい、精進しなさいって。でも勇気はなかなか持てないんですけどね。

PROFILEプロフィール

  • 釆睪 晃

    文学部 仏教学科 教授



    1969年、大阪府生まれ、滋賀県育ち。安曇川高校卒業。明治大学文学部文学科、大谷大学文学部仏教学科を卒業。1999年、大谷大学大学院文学研究科博士後期課程満期退学。2004年大谷大学文学部着任、2010年同大学准教授、2021年同大学教授、現在に至る。
    異国の宗教でしかなかった仏教が、中国においてどのように受容されていったのかに興味を持っている。特に、5世紀初頭に活躍した鳩摩羅什は、大乗仏教を初めて体系的に中国に伝えたという点で注目すべき人物である。鳩摩羅什自身はどのような思想を持っていたのか、また、その周囲にいた人物は鳩摩羅什からどのような影響を受けたのかを中心に研究を進める。



  • 父親に薦められたことと、大学の雰囲気や環境が自分に合ったことから、大谷大学を目指すことにした。入学して実際に授業を受けてみると、堅苦しいかもと思っていたイメージとは異なり、伝説が多い仏教のエピソードも、そこに潜む本質を知るのが面白いと感じている。
    学業以外では映画研究部に所属しており、大学生のうちにいろいろなことをやってみたいと思っている。将来の目標も最終的には父親の仕事を継ぎたいと考えているが、大学卒業後はまず社会に出て経験を積む予定。