サッカーや小説をきっかけに、文学や歴史にも広く関心を持ってきた八田さんは、大学で受ける授業を通して、今まで「知らなかった」ことがとても面白く感じられ、どんどん知識を吸収しています。のめりこむほど面白い授業がある一方、人見知りのため、なかなか先生に話しに行けないという一面も。幅広い関心と持ち前の向学心をさらに燃やして、目の前に広がる世界の探究に出かけます。

02 日朝関係に関心を持ったきっかけは中島敦

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浅若:韓国に興味があるんだって?
 
八田:はい。もともと、中学生くらいから韓国語を学びたいなと思ってて。でも高校生になったら、韓国のことは趣味としてやりたいなと思ったんです。それより日本語の勉強をしたいなと思いました。
 
浅若:それだったら文学科が良かったんじゃない?
 
八田:最初は文学科で考えてたんですけど、高校の現代文の授業で『山月記』を読んだら、中島敦にのめりこんでしまって。経歴には、日本の植民地時代の朝鮮で幼少時代を過ごしたって書いてあって、それでまた興味が出てきて、勉強したいなと思いました。作者の経歴を見ながら、「この本はどういう経緯で生まれたんだろう」って自分なりに考えて知っていくのが好きでした。
 
浅若:文学少女だったの?
 
八田:文学全般というわけではないんですけど、中島敦が『巡査の居る風景』っていう短編を出されていて、日本の学者とか政治家が朝鮮を植民地にするべきだっていう中で、否定的と捉えられるような作品を出して、当時の朝鮮について描いたんです。その時代に植民地の現状を伝えた本ってなかなかなかったので、すごく魅力的というか、関心を持ちました。その頃は、文学においてもいろいろ厳しかった時代じゃないですか。そのギリギリを攻めるじゃないですけど、そのあたりの現状を伝えているところに好感を覚えました。
浅若:国際文化学科の学生さんの中では珍しいタイプだね。文学から入ってくる人って、そんなに多くないんですよね。
 
八田:本を読むのが好きで。植民地時代より前の日朝関係にすごく興味があります。今度の発表でも、李氏朝鮮と対馬藩についてのテーマをやります。
 
浅若:そんなん出てくるとは思わなかったよ。対馬藩だけが李氏朝鮮と交流があったの?
 
八田:江戸時代、日本は鎖国って呼ばれる政策をとってたんですけど、鎖国っていうと「外国は入って来ないで」みたいなイメージがあるんですけど、実際は、限られた国としか交易をしていなかったってことなんです。その中で友好的な関係を持っていたのが朝鮮半島で。そういう経緯を聞いて、江戸時代の日朝関係に興味を持ちました。
 
浅若:なんか、卒論のタイトルがもう出てきてるね(笑)。

PROFILEプロフィール

  • 浅若 裕彦

    文学部国際文化学科 教授



    1995年京都大学文学研究科博士後期課程単位取得退学。文学修士。1996年大谷大学専任講師。2002年大谷大学助教授。2007年大谷大学准教授。
    英語小説に用いられる様々な技法、中でも自由間接話法とその表現効果に関心を持っている。自由間接話法の発達の歴史の中でよく言及されるのが、イギリスの作家ジェーン・オースティンだ。この技法自体はオースティンよりずっと古い時代から存在していたが、彼女はしばしばパイオニア的存在として扱われる。彼女がこの技法の発達の過程で果たした役割について、さらに考えていきたい。



  • サッカーをきっかけに中学生の頃から韓国語に興味を持ち、高校生の頃には小説をきっかけに文学や歴史にも関心を持ってきた。高校の時に先輩に勧められた授業で大谷大学を知り、受験。大学で受ける授業を通して、今まで「知らなかった」ことがとても面白く感じられ、どんどん知識を吸収している。
    のめりこむほど面白い授業がある一方、人見知りのため、なかなか先生に話しに行けないという一面も。幅広い関心と持ち前の向学心をさらに燃やして、目の前に広がる世界の探究に出かける。