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OTANI TALK

2017

哲学科 p.06


このページに掲載している情報は、取材当時(2016年度)のものです。

06:人間を人間たらしめているもの

村岡:先生は、なんで哲学を研究するようになったんですか?

門脇先生 門脇:最初は何となくだったんでしょうけど、今振り返ってみると、やっぱり寺に育ったことが大きいと思いますね。人間が死んだときに、なんでお通夜だの初七日だのっていう面倒くさいものがあるんだろう、それがなかったらすっきりするのかな、いやしないだろうな、っていう疑問を持っていたんです。「寺なんか継ぎたくない」っていう思いは、寺の子だったらだいたい思うものなんですよ。「葬式とか法事がなくなったら、寺なんかいらないのに」って。でももしそれがなくなったらどうなるんだろう、と思ってね。

葬式がなくなったとして、「人が死んだからごみに捨てよう」じゃいかんのだな。昨日食べたサンマの骨は生ごみとして捨てられるけど、人間はそうはいかない。その違いは何だろうと。人間は死者のことを覚えているから捨てられないんだろうか。でも象だって優れた記憶能力があるから、仲間の死を1年くらい悲しむらしいんだけど、わざわざ穴を掘って埋めたりしない。人間だけがわざわざ死体を隠して、死者の思い出を作り上げてそこで会話する。歴史だって、死者の思い出だしね。そういうことに興味があったんだろうな。

飼ってた金魚が死んでもごみには出せないでしょう。庭に穴を掘って埋めるとかする。でもゴキブリの場合は、新聞紙にくるんで捨てられる。この差は何なんだろうと。やっぱり、共に暮らすってことが関係しているんだろうな。一緒に暮らしていた者が死んでしまったってことをどうやって受け入れていくのかというようなところで、人間は葬式とか一周忌とか、そういうことを必要とする。ということは、やっぱり人間は死者と共に生きているという側面が、人間を人間たらしめているのではないか、ということを考えています。

だから研究テーマとしては、人間が死をどう扱うことで動物と違いが出るのか、ってことですね。古来からそういうことを考えてきた人たちの思考を十分に踏まえながら。葬式の単位は家族なんだけど、最近の「お葬式は簡単でいい」っていう風潮とか、少子化や非婚化でこれから一人者が増えていくときに、人を弔うということをどういうふうに考えたらいいのかとか。人間の一番基本的な生死について考えています。

村岡:ヘーゲルだけじゃなくて、そういう研究もしてるんですね。

門脇:ドイツ語の「Geist」は「精神」と訳されているんですけど、実は「幽霊」という意味もあるんです。ヘーゲルがなんでこの「Geist」という言葉を大事にしたのかと思ってね。ヘーゲルはシェイクスピアの『ハムレット』を高く評価していたんだけど、ハムレットの父親の幽霊というのを、自分の哲学の中に入れ込んできているんじゃないかと考察したわけです。平たく言うと、我々が死者とどうやって生きているのかってことなんですけど。だから、ヘーゲルの研究も人間の生死に関する研究も、別なものではなくてつながっているんですよ。

まぁそんなことを、『哲学入門 死ぬのは僕らだ! 私はいかに死に向き合うべきか』という本に書いたんです。この本、もともと哲学科教員ブログに書いていた文章を見た出版社の方が「本を書きませんか」と声をかけてくれてね。最初はブログの内容をまとめて本にするものだと思って二つ返事で引き受けたんです。ブログのどの記事を編集してもらえるのかなぁ、と楽しみにしていたんですよ。ところが「哲学入門書として書き下ろしてください」と言われてね。頭を抱えたね。サラリーマンにも読める哲学入門書って、どのレベルなんだと思って。執筆中も編集者からは「ブログと新書は違います!」とか「難しすぎます!」って何度も書き直しさせられて。でも死ぬ気で書きましたよ。人生、何の縁があるかわからないな(笑)。

門脇先生の著書



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