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学術研究

大谷学会・学内学会

哲学会『哲學論集』

第57号~ 目次

第41号~第56号 目次

第56号 (2010.3)

親鸞における三心釈と心の教育 —教育人間学的考察— 川村 覚昭
〈気概〉の概念再考 —プラトンの『国家』439e-441c— 西尾 浩二
仮象を肯定する生 —ニーチェの「力への意志」について— 木原 英史
刑事手続きにおけるアドボカシー —知的障害のある成人女性との会話記録から— 脇中 洋
現代日本社会とデュルケム社会学 —宗教・自殺・犯罪— 飯田 剛史

第55号 (2009.3)

浄土教と非公式的なスピリチュアリティの一形態としての念仏 藤枝 真
「間接伝達論的論理学」の「門外領域」のための序説 清水 茂雄
「責任」と「謝罪」—子供強制隔離政策に見る「責任」の意味— 坂口 清
周辺地域における林業ネットワークの展開過程—「離村者」からみた関係網の派生— 福田 恵
在日カンボジア難民若者文化の一局面—カンボジア料理店での事例を中心として— 堀井 愛

第54号 (2008.3)

ためらいの現象学-レヴィナスと読むヘーゲルの『ハムレット』解釈 門脇 健
環境倫理における「専門家」と「役に立つこと」 神崎 宣次
フッサール『イデーンⅡ』における身体構成の問題-感覚態とキネステーゼ・運動感覚 奥田 万里子
純粋自我と厳密学との関係について 竹中 正太郎
レヴィナスにおける「応答-責任」の主体性-他者との出会いについて- 村田 知子
主権をまえにした外国人 古屋 哲
中部ジャワの上演芸能における音楽に関する考察 矢野 博之

第53号 (2007.3)

存在の傍らに在ること 池上 哲司
ハイデガーの「存在の意味への問い」とカテゴリー的直観 若見 理江
近代日本におけるジェンダー秩序の確立と家政学の成立 関口 敏美
「戦後」経験主義教育論争 -上田薫の教育論の位置づけ- 大野 僚
生社会における未来性 -北タイのエイズ自助グループ- 田辺 繁治
臨床描画法における解釈行為の深層についての一考察 新美 秀和

第52号 (2006.3)

坂本弘先生を偲ぶ 築山 修道
報土としての浄土 長谷 正當
西田哲学における国家論について 清水 茂雄
カントの宗教論 —「単なる理性」をめぐって 村山 保史
デュルケム社会学における生と死 寺林 脩
地域福祉計画の策定に問われている課題 —摂津市地域福祉計画を手がかりに— 安井 喜行
上田薫の道徳教育論 大野 僚
在日カンボジア難民におけるディアスポラ性 —顕在と融合 堀井 愛
研究ノート イマージュによる無限への参与 —スピノザにおけるその機能— 富積 厚文

第51号 (2005.3)

「名は単に名にあらず」 —真宗の「名号」とキリスト教の゙Gott″(神)— 大河内 了義
カントにおける人間の尊厳と身体の問題 森 芳周
ヒュームの人格の同一性論における自我の問題 田野 美華
『エチカ』の論理に於ける自己と他者 —限定の概念を中心として— 富積 厚文
移動労働のもたらす家族の変容と故郷観 —東北タイ農村出身女性の事例から— 藤田 直子
発話をめぐる5章 —音声・自我・ことば— 矢野 のり子
パリッタ儀礼 —仏の教えと除災招福— 古谷 伸子

第50号 (2004.3)

二宮尊徳の「神儒仏正味一粒丸」という語態 皇 紀夫
「内在的価値」と生命倫理 —ロナルド・ドゥオーキンの議論をめぐって— 渡辺 啓真
場の理論と心理療法 廣瀬 幸市
キルケゴールの、死んでも癒されぬ病である「絶望」とは —意味・罪・意志の布置により開かれる光景— 山内 清郎
戦時下における「新体制」と隣組 —地域組織の再編成— 田中 美樹子
インドネシア・中部ジャワのジャティラン芸能 —娯楽における霊性— 矢野 博之
研究ノート 在日コリアンと民族問題 黄 ジユン

第49号 (2003.3)

遥かなる惜別 —偉大なプラトニスト、ガダマー先生を偲ぶ— 箕浦 恵了
ゲーテのインド体験と二つのバラーデ 友田 孝興
非論理の論理 —問うことを問う論理— 門脇 健
「生と死」の文化 —ブータンと日本の死生観の比較を通して— 本林 靖久
家族福祉研究の現状と課題 鈴木 未来
自己解釈と解体 —初期ハイデガーにおける解釈学について— 岡本 敦之
主体の社会関係が外界認知に及ぼす影響 星津 香織
講の社会的機能とその消滅要因 —輪島市深見町の事例— 矢花 秀樹

第48号 (2002.3)

犠牲と自尊心 —『罪と罰』における犠牲の構図— 鈴木 幹雄
運動障害福祉のパラダイム —高木憲次の療育体系と中途障害者の障害受容を手がかりとして— 佐賀枝 夏文
キリシタン信仰の受容と一神論的思惟 狭間 芳樹
信仰の説明責任 —アブラハムのイサク奉献を巡って— 藤枝 真
研究ノート 生死における生について 長尾 雅士

第47号 (2001.3)

追悼 武田武麿先生 門脇 健
攻撃と犯罪 -方法論的考察- 間庭 充幸
同時代の「根源」へ -ニーチェ『ワーグナーの場合』を読む- 須藤 訓任
志向性・他者とその言語 -フッサール現象学における倫理的なものへの通路- 紀平 知樹
研究ノート メーヌ・ド・ビランにおける感覚の概念 桝井 守

第46号 (2000.3)

追悼 木場深定先生 鈴木 幹雄
会話における事態認知 —とくにふたつの基本的関与の分岐点をめぐって— 谷 泰
テレビゲームと心理療法 谷口 奈青理
行為と法則 脇坂 真弥
ソクラテスの夢 —プラトン『テアイテートス』篇における要素とシラブルとについて— 國嶋 貴美子
ニーチェにおけるニヒリズム克服の二つの様相 西川 友和
研究ノート キェルケゴールの教会批判における敬虔主義の意義 —シュペーナーとの比較から— 藤枝 真
研究ノート 地域に根ざした国際交流の現状 —「ミャンマー・パーティー」を事例として— 細川 隆憲

第45号 (1999.3)

蓮如『御文』の教育学的考察 大竹 鑑
カントのコペルニクス的転回 村山 保史
科学的説明と実践的文脈 水俣病の原因論に即して— 白水 士郎
〔研究ノート〕
十六世紀日本における民衆の宗教的欲求
一向宗に関するイエズス会士の報告に基づく—
狭間 芳樹
日系アメリカ人のアイデンティティ形成と「仏教会」の役割
見義 信香

第44号 (1998.3)

クライン派におけるナルシシズム研究の展開
—フロイトからクライン、そしてローゼンフェルドへ—
山本 昌輝
ラカン理論における「ファルス」の概念「よろこび(delectatio)」としての恩寵
番場 寛
—近代神学における人間理解—「環境問題」への構築論的アプローチ
林 伸一郎
—「環境」の商品化をめぐって— 塚本 利幸
〔研究ノート〕
〈存在への問い〉と伝統的存在論 —ハイデガー『存在と時間』研究—
吉元 信暁
自己関係における永遠性の二義 —キルケゴール『死に至る病』の考察—
朝日 知行
清沢満之における近代日本思想の一側面について 三浦 統

第43号 (1997.3)

老いの倫理学のために 池上 哲司
木村素衛における表現的世界の構造 大西 正倫
イデアの二つの似像 —プラトン『国家』篇、線分の比喩について—
國嶋 貴美子
真理と虚偽の文化 アルノ.バルッツィ 訳 須藤 訓任
ニーチェの道徳批判についての若干の考察 西川 友和
東学のハンウルニン(天)思想について 陰 富 炯
講院を中心とした僧伽教育 金 元 榮

第42号 (1996.3)

鈴木大拙の歴史的視座—『日本的霊性』の場合— 堀尾 孟
デュルケムのルソー研究—社会科学的思考の系譜— 寺林 修
柳田国男の女性向け読み物について
—『木綿以前の事』(1939)を中心に—
関口 敏美
比較歴史社会学の論理—スコッチポル説の検討— 大川 清丈
カントの目的の国 村山 保史

第41号 (1995.3)

教育における現代神話の崩壊 酒井 汀
万能感と無力の受容 —病的賭博者の人格特性について— 滝口 直子
道徳と客観性 —道徳をめぐる実在論と反実在論— 渡辺 啓真
千年王国運動と歴史 —バリッジとエリアーデの研究を中心に—
山本 和人
〔研究ノート〕
キェルケゴールにおける信仰のパラドクス —『おそれとおののき』研究—
三村 徹也
ヤスパースに於ける実存哲学的倫理学の可能性について
神田 淳世

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