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きょうのことば

きょうのことば - [2020年12月]

そのかごを水につけよ

「そのかごを水につけよ」
『蓮如上人御一代記聞書』(『真宗聖典』 東本願寺出版部 871頁)

  標記のことばは、室町時代の仏教者で、本願寺の第八代蓮如(れんにょ)(1415~1499)が語ったことばです。「聞書」ですから、蓮如自身が記述したものではなく、彼のことばに頷いた人が自身の受け止めとして記したものです。

  このことばは、ある人が、「わたしの心はまるでかごに水を汲むようなもので、仏法を聞いているときは、尊いと思うけれど、その場を離れると、たちまちもとの心に戻ってしまう、どうしたらいいのでしょうか」と打ち明けられた事に対する蓮如の応答です。ここでいわれるかごとは自分自身のこと、そして水とは仏教のことです。教えをため込もうとするけれども、自分がかごのように穴だらけなので、そこから教えがもれ落ちてしまう。これではいつになっても仏教を理解できず成長もできない。どうしたらいいでしょうかという問いに対して蓮如は「そのかごを水の中につけなさい。わが身を仏法の水にひたせばよいのだ」と答えるのです。

  ここに視座の大きな転換があるように感じます。対象として仏教をいかに学ぶかから、学ぼうとしている自己自身を問うという視座への転換です。仏教を自分の内に取り込もうとするから、もれ落ちてしまうのだと。かごを水につけるとは、仏教を受け取ろうとしている自分自身を仏教の価値観から問い直すと言うことです。私たちは仏教を学ぶ場合、対象としてある仏教の教義を自分がいかに理解し受容するかという関心に立ちます。しかし、仏教とは実は、それを学ぼうとする私たちへの仏教からの問いかけなのです。仏教に出遇うことによって、自分の生きている意味自体が問われてくる。それまで水をくもうくもうとしていた自身の関心そのものが問われていたことに気づくことこそ仏教を学ぶということなのです。自分中心の物差しで学ぼうとすることは、結局自分に都合のいいものだけを手に入れたいという考えにほかなりません。それでは自分の関心に仏教を取り込んでしまうだけです。そのような自分の在り方そのものを仏教に問うことこそ大切だと蓮如は言っているのです。

  私たち自身の学び方、生き方はどうでしょうか。相変わらず新型コロナウイルスの感染は、収束が見通せない状況にあります。確かにコロナウイルスは私たちの日常を脅かす存在です。しかしウイルスそのものより、感染の恐れから人を差別するような私たちの在り方、自分に都合の悪いものを排除しようとする私たちの生き方そのものが問われていることが、このことばから教えられます。

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