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きょうのことば

きょうのことば - [2020年06月]

人心の至奥より出づる至盛の要求の為に宗教あるなり。

「人心の至奥より出づる至盛の要求の為に宗教あるなり。」
『御進講覚書』(『清沢満之全集』第7巻 岩波書店188頁)

  標記のことばは、本学の初代学長である清沢満之(1863~1903)の言葉です。清沢は初代学長として、東京巣鴨の地に真宗大学(当時)を移転開校し、近代化に突き進む日本にあって、文明や経済の発展よりも、人間にとっての真の生きるよりどころである「立脚地」をあきらかにすることの大切さを大学の創立の精神として表明しました。

  パンの為、職責の為、人道の為、国家の為、富国強兵の為に、功名栄華の為に宗教あるにはあらざるなり。人心の至奥より出づる至盛の要求の為に宗教あるなり。

  このように清沢は言っています。宗教とは、自分が食べていくためや、国益のため、立身出世など人間の欲望を満たすための手段としてあるものではないのだと。人間のこころの奥底から湧き上がってくるような要求のために宗教はあるのだと清沢は言うのです。私たちは、日常的にさまざまな欲求をおこしながら生活しています。そして宗教というものも、その欲求をかなえるための道具として当たり前のように理解し、そのような理解だけで宗教に関わっているのではないでしょうか。合格祈願や必勝祈願、厄除けなどそういう場面でだけ宗教を求めていませんか。しかし清沢は、このような限りなく自分の欲求を満たし、その先に満足や幸せがあると思い込んでいるこのような私たちの生き方そのものを問い返すような、根源的要求を宗教と呼ぶのです。

  現在新型コロナウィルスの感染が世界中に広がり、ロックダウンや緊急事態宣言などたいへんな状況に私たちは置かれています。本学でも四月からずっと、通常の対面授業は行えない状態です。これまで当たり前にできたことができなくなり、だれもがウィルスに感染してしまう立場にも、させてしまう立場にもなり得る状況に全ての人が戦々恐々としています。しかしひるがえって考えてみると、当たり前であることの中に見落とされてきた私たちの傲慢な生き方が、この状況の中であらわになってきたともいえるのではないでしょうか。ウィルス治療の最前線で働いている医療関係者に対するいわれなき誹謗中傷が、その家族にまで向けられ、陽性反応が出た患者やその家族に対しても同じ状況があると報道されています。ウィルスへの感染ももちろんですが、このような人を排除するような私たちの考え方や社会の方がはるかに怖いと私は感じます。一体いつから、私たちは他に対してこれほど非寛容な人間になってしまったのでしょう。今この時は、ウィルス感染拡大の状況から私たちの生き方に対して、本当に大切なものは何かという問いが、突きつけられているのではないでしょうか。この状況が、一日でも早く収束することはもちろん全ての人の願いです。しかし経済を優先し、スピードを優先し、グローバル化を加速させてきたこれまでの私たちに、その生き方で本当に良かったのか、本当の幸せとは何か、これまでの在り方を立ち止まって振り返る時が来ているともいえるのではないでしょうか。この人間回復の道への通路を宗教と、清沢満之は呼んでいるのです。

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