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きょうのことば

きょうのことば - [2019年09月]

自己もまた、このような他者もしくは世界なしには決して存在せず、これらからの抵抗を受けながら存在する

「自己もまた、このような他者もしくは世界なしには決して存在せず、これらからの抵抗を受けながら存在する」
ディルタイ「歴史意識と世界観」(『ディルタイ全集』 第4巻 法政大学出版局 414頁)

  ディルタイは19世紀後半から20世紀初頭のドイツの哲学者で、当時は精神史研究や文芸評論、さらには教育学の領域で知られていました。さて人間と世界とはどのような関係にあるのでしょうか。たとえば次のような考えがあります。「自分が世界を見ているからこそ、世界は存在するのだ。自分がなくなれば世界もなくなる」。このような考えは、「独我論」と呼ばれます。しかしディルタイはこのような独我論的な立場を取りません。逆にディルタイは、他者がいるからこそ、私たち一人ひとりが存在する、という立場を取ります。感情をもった一人ひとりの人間が共に生きることで、世界は成立しているのであると考えます。

  ディルタイが活躍した19世紀後半は、ヘーゲル哲学に対抗して独自の哲学が生じつつあった時代です。キルケゴールや、コント、フォイエルバッハ等が新しい哲学を作り出していました。彼らが考えていたのは、人間の本質を理性や観念によって捉えようとするのではなく、人間一人ひとりの代えがたい独自性を強調したり、物質的側面が人間のありようを構成するという立場から、独自の哲学や思想が構築されました。このような時代的雰囲気の中で、ディルタイは「生」の立場に立脚した哲学を作り出そうとしました。ディルタイによると、人間の生(生命、生活)は理性や知性によって汲み尽くされるものではなく、衝動や感情などを含んだ統一体なのです。

  さらに人間の生は一人だけで存在するのではなく、他者との関係によって成立します。他者がいるからこそ、人間は人間として存在ならしめられるということでしょう。
他者との関係により、人間のありようが規定されます。人間の存在は決して自分から規定されるのではなく、逆に世界の方から規定されます。私たちの生命は、決して自分ひとりで成り立つのではなく、むしろ世界から影響を受けながら決められていくということでしょう。

  ここで注目したいのが、「抵抗」という言葉で表されていることです。「他者」や「世界」は、決して「私」の思い通りになるものではなく、逆に思い通りにならないものとして現れます。そしてディルタイの思想を通して、世界のあり方は「抵抗」としてある、ということが読み取れます。私に対置する他者もまた、私と同じように独自の意志を持っているのですが、私たちは様々な他者と一緒に共同体を作っていかなければなりません。抵抗として現れる「他者」や「世界」とどのように関わるかは、人間のあり方を規定しているように思われます。世界は論理や理性によってのみ動いているのではなく、予測不可能な事態の中に存在していると言えます。この予測不可能な世界で、ただ一つしかない「生」をどのように営むか、これは私たちの大きな課題と言えるでしょう。

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