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きょうのことば

きょうのことば - [2019年04月]

「やりたいことはやったか」と閻魔が待ってくれるはずはない  やりたいことがもしあるのなら 今日この時にこそやり遂げよう

「「やりたいことはやったか」と閻魔が待ってくれるはずはない やりたいことがもしあるのなら 今日この時にこそやり遂げよう」
サキャ・パンディタ 『サキャ・レクシェー』(『智恵の言葉』 角川書店 103頁)

  サキャ・パンディタ(1182–1251)は、チべット仏教サキャ派の祖師の一人です。後世に影響を与えた数多くの著作を残していますが、その中でも格言詩集『サキャ・レクシェー』は、人々に大変親しまれています。「世俗で行うべきことを、知らば正法明らかぞ」とある通り、日々の生活に則しながら、仏教的な生き方とは何かということについて、面白い喩えを用いながら述べているところに、この格言詩集が人気を集めている所以があるのでしょう。

  生きとし生けるものたちは皆、死を避けることはできません。この世に生を得れば、その瞬間から死につきまとわれます。にもかかわらず私たちは、死ぬとはちっとも思わずに、死を遠ざけて日々暮らしています。ところが、死を告げる閻魔が目の前に現れ、「おい、お前のやりたいことはやり終わったか?」と尋ねられた時、つまり、死という必然に直面した時、初めて現実に気づき、何も手につかず食事も喉を通らないほどの恐怖を覚え、後悔します。「やりたいこと」ができていなくとも、死は待ってくれません。「少し待ってほしい」という余裕はないのです。不可避な死はいつ訪れるかわからないということを考えると、「明日からしよう、明後日からしよう」と「やりたいこと」を先送りにすることなど決してできません。このことばの前後の一連の格言詩によって、サキャ・パンディタは、そのように述べています。

  『サキャ・レクシェー』のある注釈書には、「やりたいこと」とは「やるべきこと」、すなわち「諸悪を捨て、善行をなすこと」と具体的に述べられています。とはいえ、新年度の始まる節目のこの時期だからこそ、あえて、そのような具体的な意味から離れ、この言葉を味わう必要があるかも知れません。

  来年のこの時期、後悔しないためにも、「今、閻魔が目の前に現れたらどうするか」と考えてみるのもいいでしょう。「やりたいこと」がわからないという人もいるでしょう。ならば、自分にとって「やりたいこと」は何かという根本的問題に向き合って、少しずつ日々歩みを重ねてゆくのもいいでしょう。『サキャ・レクシェー』には次のような格言があります。

知るべき論書の言葉をば
一日一語暗記せよ
アリ塚・蜂蜜出来るがごとく
すなわち賢者となるぞかし
 

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