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きょうのことば

きょうのことば - [2018年10月]

真の朋友は宗教的根拠に立つものでなくてはならぬ

「真の朋友は宗教的根拠に立つものでなくてはならぬ」
清沢満之「真の朋友」(『清沢満之全集』第7巻 岩波書店 310頁)

  標記のことばは、本学の初代学長であり、明治を代表する宗教者清沢満之(1863-1903)のことばです。

  「朋友」とは、「とも」や「仲間」という意味です。したがって、「真の朋友」とは、本当のともだちということです。私たち人間は、文字通り人と人との間に生きる存在です。互いに分かり合いたいし、自分のことを分かってほしい。自分の言葉を聞いてくれる相手がほしい。常に人との繋がりを求めて私たちは生きています。

  そして同じ所属意識を持っているとか、地域に住んでいる、同じ会社にいるなど、同じということをよりどころにして集まっている共同体を作って生活しています。また最近ではSNSなどの発達によって、同じ興味で集まった興味型のコミュニティも生まれています。

  このように私たちは、常に出会いを求め、人と繋がりたいと欲求していますが、同時にこのような人間関係が私たちを苦しませ悩ませることにもなります。仲間を作ることが、結果として仲間はずれを作るというのが私たち濁世を生きる人間の現実ではないでしょうか。ともだちと繋がっていようとすれば、仲間はずれにならないように、常に嫌われないようにという同調圧力にさらされ、それを嫌悪し避けようとすれば、孤立し寂しさに打ちひしがれるしかない。このような二律背反に陥ってしまうことが、人間社会の苦悩を生み出しているように感じます。

  清沢は、真の朋友は宗教的根拠に立つものでなくてはならないと言います。そしてその宗教的根拠とは「絶対無限を信憑(しんぴょう)すること」であると言うのです。地域社会や、共通の興味など、常に「相対有限」な条件を「とも」の根拠とする私たちに、条件付きの仲間作りは、結局条件を満たさない者を傍らに追いやっていくことになることを教えるのが「無限」としての宗教であると清沢は言うのです。元気な者中心の世の中では病気の者は傍らに追いやられ、お金が中心になればお金をもっていない者はやはり辛い思いをさせられる。いつでも何処でも誰の上にも、平等を実現する根拠を見出すことによって、このような「相対有限」な条件でともを求めるありかたを翻す。ここに仏教の大切な意義を見出したことが、清沢満之の果たした大切な仕事だったのです。

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