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きょうのことば

きょうのことば - [2018年03月]

迷人は方に依るが故に迷うも、若し方より離るるときは、則ち迷うことあること無し

「迷人は方に依るが故に迷うも、若し方より離るるときは、則ち迷うことあること無し」
馬鳴『大乗起信論』(『大乗起信論』岩波文庫 34頁)

  『大乗起信論』は「大乗」に対する信を我々に起こす目的で著された仏典です。ここでの「大乗」は我々の心に宿る「さとり」(覚)を意味するものとされています。また、心は常に「さとり」を覆い隠す「まよい」(不覚)に支配されています。そのため、「まよい」を取り除くことで、心に宿る「さとり」がはっきりと顕現するということ、その事実に対する信を起こすことが『大乗起信論』の目的です。

  さて、標題のことばは、心を支配する「まよい」のはたらきを端的に示した比喩です。意訳すれば「道に迷う人は、方角を立てるから道に迷うけれども、方角を立てなければ、道に迷うことはない」となるでしょうか。「方に依る」(方角を立てる、方角を決める)という比喩表現は、どこかに「正しい答えがある」と思い込んでいる心の状態を指しています。例えば、私たちは何かを決断するとき、知らず識らず、どこかに「正しい選択」があるはずだ、正しい選択をしさえすれば「正解」に辿り着けるはずだ、という前提に立っています。しかし、そうした「正解」は、実はどこにもありません。自分の進むべき道、自分の選択の結果が「正しい」かどうかは、誰にもわかりません。それと同じように、間違った道順、不正解があるわけでもないのです。それにもかかわらず、そうだと思い込んだ「正解」との距離を推し測り、「私は正しい道を歩んでいる」と過信したり、「私は道を誤ってしまった」と後悔することがあります。このように、自分の目が届く範囲の中で基準を作り出し、「正しさ」に振り回される心のありようが「道に迷う」と比喩的に表現されているのです。

  このことばに引き続き、『大乗起信論』では、「まよい」は「さとり」と対比されることではじめて「まよい」となり、「まよい」というものがもともとあるのではない、と述べられています。つまり、「まよい」とは私たち自身が生み出すものでもあるのです。「これが正しいのだ」との思い込みと決めつけにとらわれ、自分で自分を縛りつけて、その結果、道に迷ってしまう。そうした私たちの心の傾向が明らかにされています。

  三月になり、これまでのことを振り返り、これからのことを考える人も少なくないでしょう。標題のことばは、この節目の時を迎えた私たちに向けて、これまでの、そしてこれからの道のりに「正解」も「不正解」もないことを伝えているのかもしれません。

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