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きょうのことば

きょうのことば - [2017年08月]

私は、人間は単に生き永らえるのではなく、勝利すると信じます。

「私は、人間は単に生き永らえるのではなく、勝利すると信じます。」
ウィリアム・フォークナー(『フォークナー全集』27巻 冨山房 138頁)

 ウィリアム・フォークナー(1897-1962)は20世紀アメリカの小説家です。彼は自分の暮らすミシシッピ州の町周辺をモデルにした数々の小説で、奴隷制という南部の負の遺産を引き受け、土地と歴史に縛られて生きる人々の情念を描きました。標題の言葉は1949年に彼がノーベル文学賞を受賞した折の演説の一節です。

 ストックホルムの壇上からフォークナーは若い世代に語りかけます。彼はまず、現在の悲劇は「いつ私は吹き飛ばされるのか」といった肉体的な恐怖を抱くばかりで、最早精神に関わる問題が存在しないことだと言明します。第二次世界大戦後、アメリカとソ連の潜在的な対立が表面化し、ノーベル賞受賞と同年の、後者による原爆実験の成功もあって、終末の恐怖が西側諸国を支配していたためでした。彼曰く、あらゆるものの中で最も卑しいのは怖がることであり、これを悟ったならば、作家や詩人は普遍的な真実—愛と名誉と憐れみと誇りと思いやりと犠牲的精神—についてこそ書くべきなのです。そうした真実を思い起こせば、人の心は高められ、また私たちが持ちこたえる助けとなります。

 フォークナーは当世の風潮を批判して、作家は人間の心の葛藤に向き合うべきだと言いました。彼は、昨今の作家は愛についてではなく欲情について書き、さらには価値あるものを失うことのないような敗北や、希望、憐れみ、思いやりを持たない勝利について書くので、勝敗の意味合いは曖昧なものになってしまうと憂えます。合衆国の冷戦期の文化政策において重要な役割を担いもしたフォークナーは、後年、日本を訪れた際に、かつて戦いに敗れた南部人なら未来の絶望を見据える日本の若者たちに対して憐れみを抱くだろうと語りました。彼はアメリカ的価値を奉じつつ、同時に自らの故郷の歴史的体験から、敗戦国である日本への共感をもって忍耐と犠牲的精神の美徳を唱え、近い将来の文芸復興を予見したのです。

 フォークナーは彼の複眼的思考ゆえ、アメリカの民主主義を是としながら、敗戦国に肩入れし、米南部の過去を慈しむ一方で人種の問題に向き合いました。言うなれば、冷戦期の肉体的な恐怖は南部における人種差別が孕む恐怖と地続きであり、これらに打ち克つ精神なり、魂なりをもち得るなら人間は不滅だと彼は考えたのです。そして、自らと次世代の作家や詩人たちに与えられた課題はそれを記すことだという認識を得ました。彼は文彩のレベルで、過去の敗戦を「勝利」へと書き直すべく美辞麗句と戯れたのではなく、敗北を糧として、人間が生き永らえ、勝利するという逆説の可能性に希望を見出したのです。

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