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きょうのことば

きょうのことば - [2016年03月]

経験の結晶が始まった瞬間からその人の道が決まってくる

「経験の結晶が始まった瞬間からその人の道が決まってくる」
森 有正(『思索と経験をめぐって』講談社 209頁)

 森有正(もりありまさ)(1911-1976年)は、長年フランスのパリで生活し、デカルトやパスカル研究に取り組んだ思想家です。パリを愛し、パリでの生活を通して思索したことをたくさん書き残しています。

 ある現実に直面して、このままじっとしていてはいけない、何かしなければならないという「内的促し」が起こる。自分が変容を受けるような現実との触れあい、何か新しい行為に転ずるということが起こるような現実との触れあいを、森有正は「経験」と呼んでいます。

 さて、青年ゴータマ・シッダールタが老人、病人、死人に出あうというエピソードが仏典のなかで描かれていることをご存じの方も多いでしょう。青年ゴータマはひとりの沙門(しゃもん)(求道者)の姿に出あい、そのことがきっかけで自らも求道を開始します。出家といわれる出来事です。

 森有正の言葉をかりるなら、老病死に直面したことによって、自分のこれまでのあり方が根底から揺さぶられるような内的促しが起こったと言ってよいでしょう。老病死というものは、われわれの人生からすべてを奪いさってしまうという意味で最大の苦悩です。青年ゴータマにとっては、老病死の苦悩に直面し、沙門の姿に出あった瞬間こそ、「経験の結晶が始まった瞬間」でした。それまで点在していた様々なことがひとつに結ばれ「経験の結晶」となり、苦悩を超えて生きる道の探求が開始されたのです。ある経験によって、歩み方が決まり、生涯をかけてなさなければならないことが明確になったことを、このエピソードは語っていることになると言えましょう。

 大谷大学の第3代学長であった佐々木月樵(ささきげっしょう)は1925年(大正14年)の入学者宣誓式で、本務遂行、相互敬愛、人格純真の三つに心をよせて真の人間になっていただきたいと力強く宣言しています。この最初に置かれた「本務遂行」すなわち「なすべきことをなす」ということこそ、森有正が言う人間のあり方を決めるような経験によって開始されるのではないでしょうか。「したいこと」が見つかることが重要だというよりも、ひとりの人間として生涯かけて「なさなければならないこと」が決まることが重要であるという宣言でありましょう。

 今月をもって卒業を迎える皆さんは、大谷大学における学生生活のなかで、今後の歩み方を決定づけるような深い経験をされたでしょうか。そして、生涯かけてなさなければならないことが決まったでしょうか。

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