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きょうのことば

きょうのことば - [2016年02月]

静けさは、西洋においても東洋においても、人格の形成にとってなくてはならないものです。

「静けさは、西洋においても東洋においても、人格の形成にとってなくてはならないものです。」
イヴァン・イリイチ(『生きる思想—反=教育/技術/生命』藤原書店 53頁)

 イヴァン・イリイチ(1926-2002)はウィーン生まれの哲学者・歴史家であり、一時期はカトリックの司祭としても活躍した人です。彼は現代社会に対して根本的な疑問を抱き、様々な視点から現代文明批判を行ったユニークな思想家でした。

 標題のことばは、産業化が進んだ現代における人間を取り巻く環境と、それ以前の環境との違いについて述べた論考のなかにあります。彼によると、産業社会以前には、様々に異なる生活を送る人々にとってそのままの形で役立ち、それでいて誰からも占有されることもない環境が、私たちの周りに広がっていたとされています。それを彼は「コモンズ」と呼びました。

 彼は、そのコモンズの一つとして「静けさ」を重視し、それが人格の形成にも重要な意味をもっているのだと述べています。ところが今やその「静けさ」は、拡声機などの、産業社会が生み出した様々な機械から発せられる騒音によって打ち消されるためだけに存在する、単なる「資源」となってしまいました。つまり「静けさ」はもはや、それ自体有意義なものとしてではなく、「音の欠如」としての意味しかもたなくなってしまったのです。

 ところで、ベトナム人の仏教者、ティク・ナット・ハン(1926-)もイリイチと重なる問題提起をしています。彼は「なかには良いものもある」と断ったうえで、大部分のテレビ番組やビデオ、音楽などについて、私たちを攻撃し、破壊し、真の自己から遠ざける働きをするものだと述べています。その一方で、呼吸を整えて静かに座るとき、私たちは真の自己となり得ると言います。

 このように、洋の東西を問わず、宗教者は「静けさ」の重要性を説いています。確かに、外からの刺激がないとき、私たちの意識は自然と自分の内へと向い、自分を見つめることができるようになります。その意味で「静けさ」は自分の内面の成長に不可欠なものだと言えるでしょう。

 もちろん、読書や友人との語らいで得られる有意義な刺激もたくさんあります。しかしテレビやスマートフォンを通して得られる刺激の多くは、ティク・ナット・ハンの言うように私たちの心を麻痺させる暴力的な働きをもっているように思えてなりません。様々な刺激を容易に手に入れることのできる現代の私たちこそ、「静けさ」の大切さを理解し、それを楽しむことのできるような姿勢をもつことが求められるのではないでしょうか。

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