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きょうのことば

きょうのことば - [2015年09月]

三界に於(おい)て心より他に恐るべき物はない。

「三界に於(おい)て心より他に恐るべき物はない。」
シャーンティデーヴァ『入菩薩行論』(『悟りへの道』平楽寺書店 48頁)

 標題のことばは、インド人の仏教僧、シャーンティデーヴァ(7—8世紀)によるものです。彼は王家の生まれでしたが、父王の死をきっかけに仏門に入ったと言われています。

 三界(さんがい)とは、仏教の宇宙観において、生あるものが輪廻流転を繰り返すとされる迷いの諸世界の総称であり、それらの世界は、大きくは下から欲界・色界(しきかい)・無色界(むしきかい)の三つに分けられるので「三界」と呼ばれます。仏教では、そうした迷いの世界を離れ絶対的な安らぎの境地へと至ることが目指されるのですが、シャーンティデーヴァは、三界のなかに囚(とら)われてしまっているものにとって恐るべきは自分の心をおいて他にないと述べています。

 このことばを聞いて、皆さんはどう思うでしょう。おそらく大抵の人は、自分にとって恐ろしい物とは、自分以外の何か外的なものであると考えるのではないでしょうか。例えば、自分に対していつも厳しく当たる親や教師が恐ろしいと考える人もいれば、自分の生命を脅かす病気や自然災害こそそうであると言う人もいるでしょう。また高い地位や多くの財産を有する人ならば、それらを失うことが最も恐ろしいと考えるかもしれません。

 しかし仏教は、そうした外的な事柄よりも自分の心の有り様こそが、人が生きるうえで最も肝要であると説きます。シャーンティデーヴァは私たちに、正しい思念によって心をしっかりとつなぎ止めることで「心を護(まも)れ」と教えますが、それは結局、そうすることがすべての安寧(あんねい)の源泉だからに他なりません。反対に、自分の心を自ら制御することなく野放しにしたならば、その心は自分にこのうえなく恐ろしい災いをもたらすかもしれないのです。同じことは、有名な大乗経典の一つである『涅槃経』の「心の師となるも、心を師とすることなかれ」ということばでも示されています。

 人は誰しも、安らかで幸せな人生を送りたいと願うことでしょう。ところがそんな私たちは、まるで自分の外に「好ましいこと」と「好ましくないこと」とが厳然と存在しているかのように思い込み、一喜一憂しながら毎日を過ごしています。ですがそのように思い込み、感情に振り回される原因はすべて自分の心にあるのです。もちろん、現実社会のなかで生きていく際には、対外的に何か働きかけたり、あるいは何らかの外的な目標に向かって努力したりすることも必要です。しかしそれでも、私たちの幸せの鍵は、根本的には自分の内なる心の有り様にあると言えるのではないでしょうか。

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