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きょうのことば

きょうのことば - [2014年11月]

摂取不捨の真言、超世希有の正法、聞思して遅慮することなかれ。

「摂取不捨の真言、超世希有の正法、聞思して遅慮することなかれ。」
親鸞『教行信証』「総序」(『真宗聖典』150頁)

 標記の言葉は、親鸞が『教行信証』の「総序」に記す言葉です。大谷大学の「聞思館」という建物の名称の由来にもなっている「聞思」とは、聞くこと、そして聞いたことを通して思索することを意味する言葉ですが、親鸞は何を聞思するのかということについて、「摂取不捨(せっしゅふしゃ)の真言(しんごん)、超世希有(ちょうせけう)の正法(しょうぼう)」であると明確に語っています。これは、親鸞が人生の依(よ)り処(どころ)とした、阿弥陀仏の本願念仏の教えについて語った言葉です。

 「摂取不捨の真言、超世希有の正法」とは、「どのような存在もおさめとって見捨てることのない真実の言葉、世を超えた出遇うことがまれな正しい法(教え)」という意味です。ここでいう「世」とは、私たちの生きる現実の世の中のことですが、具体的には、悩みや苦しみが絶えず、安心して生きることのできない世の中のことを指しています。

 そのような中でも特に現代社会は、経済効率を優先し、役に立つか立たないかで物事の価値を決めようとする風潮が強いように思われます。人間についても、能力や経歴で価値づけをし、役に立つ存在は評価し、役に立たない存在は無駄と見なす。私たちは、学校生活や就職活動、仕事場などのあらゆる現場において、このような世間の評価にさらされて生きています。その中で追いたてられるように生き、時に自己肯定感を持てず、生きる力を失っていくこともあるのではないでしょうか。また、今は健康でばりばり仕事ができる人でも、病気になったり、年老いることで、以前はできていたことができなくなるならば、その人は必要とされない存在ということにもなっていきます。その意味において、このような世間の価値観は、人間を能力や経歴で選び、切り捨てていくものであるとも言えるのでしょう。

 親鸞は、どのような者も決して見捨てることのない、阿弥陀仏の本願念仏の教えを聞思し、人生の依り処として生涯を生ききりました。その教えは世間の価値観が相対的であり不完全なものにすぎないことを照らし出すと同時に、どのような者も、いかなる境遇にある者も、一人ひとりが、本来、誰とも代わることのできないかけがえのない存在として生きていることを教えています。この教えを、今、すぐにでもためらうことなく聞思してほしいという親鸞の言葉には、現代社会に生きる私たちにとっても、大切なメッセージが込められているように思われます。

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